1971年、阪急との日本シリーズでの長嶋茂雄さん(写真:日刊スポーツ)
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「テレビのテロップの速報を見て訃報を知りました。お体が優れないとお聞きしてはいましたが、まだまだお元気なんだろうと思っていたので、驚きのほうが先でした」

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 長嶋茂雄さんの訃報を受け、山田久志さんはそう語った。山田さんはパ・リーグの阪急ブレーブスで屈指のアンダースロー投手として活躍した。セ・リーグの巨人との対戦機会は多くはなかったが、当時は阪急も黄金期。山田さんはV9時代の巨人と日本シリーズを戦い、長嶋さんとも対戦した。

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 思い出深いのは1971年の日本シリーズ第3戦。先発した山田さんは、8回まで無失点の好投を続けたが、9回の1点リードの場面で巨人の4番・王貞治のサヨナラ3点本塁打を打たれて敗戦を喫した。この試合は日本シリーズ屈指の名試合として知られる。

同じ時代に野球をやれた「幸せ」

「詳細には思い出せないですが、王さんの打席の前、勝利まであと一人というところで長嶋さんにセンター前ヒットを打たれてね。私は3年目でしたし、ただただ一番憧れの選手と同じグラウンドで、しかも日本シリーズという大舞台で戦っているんだと、それだけが強烈に思い出されるんです。私がマウンドにいて、長嶋さんがバッターボックスで構えている。スーパースターはたくさんいましたけど、長嶋さんは輝きが違っていました。それはもうまぶしいくらい。マウンドと打席で対峙していること自体が、自分の人生の中ではありえないことだったんです。これまでの野球界で一番のスター。そういう人と同じ時代に野球をやれたということは幸せでした」

 山田さんはその後、通算284勝を積み上げ、名球会入りも果たす。次第に長嶋さんから声をかけてもらう機会も増えていった。

「名球会の行事でゴルフに食事、カラオケと、いろんな場面でご一緒させていただきました。名球会のイベントには毎年、長嶋さんも必ず参加してくださって、会うたびによく声をかけてもらいました。『おお、どうだ?』とか『調子はいいか?』とか、そんなやりとりだけでも、うれしかったですね。名球会では、みんなでわいわい昔話をするんですが、王さんや金田(正一)さんと並びつつも、話の中心にいるのは常に長嶋さんでした」

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