50歳になったふかわりょう
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 2日放送の「呼び出し先生タナカ」(フジテレビ系・月曜午後7時)は「動物の超カワイイ生態検定33連発SP」。タナカ先生に呼び出されたのは、ハナコの岡部大、真空ジェシカのガク、加藤諒、こうちゃん、武井壮、辰巳琢郎、ふかわりょう、令和ロマンの松井ケムリ、マジカルラブリーの村上、森泉の優等生芸能人たち。そんなゲストのひとり、ふかわりょうにまつわる過去の人気記事を振り返る(「AERA dot.」に2025年3月23日に掲載されたものの再配信です。本文中の年齢、肩書等は当時のもの)。

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「かつてのエリート芸人が50歳にしてR-1グランプリ初参戦」――先日、そんなニュースで注目を集めたのは、ふかわりょう(50)だ。結果は惜しくも予選準決勝で敗退となり、決勝でネタを披露することはできなかったが、R-1初挑戦ながらあと一歩のところまで勝ち上がり、元売れっ子芸人の意地を見せた。

「ふかわさんはR-1予選で5回ネタを披露し、すべて別のネタで勝負しました。昔はいわゆる“あるあるネタ”が多かったのですが、鉄板の得意ネタをちゃんと現代版にブラッシュアップさせつつ、邪悪めいた目線で世間をイジり笑いを取っていくさまは、全盛期のクオリティーと遜色のないものでした。50歳にして賞レースに初挑戦したのもすごいことですが、ちゃんとネタを仕上げてくるところはさすがですね」(バラエティー番組を多く手がける放送作家)

 一時はネタを披露するどころか、バラエティーからも遠ざかっていたふかわ。なぜ50歳にして新たなチャレンジをしたのだろうか。

「若くして大ブレークしたふかわさんでしたが、2010年頃には芸人としては失速。転機は2012年、夕方の帯番組『5時に夢中!』のMCに就任したことでしょう。同番組から派生した『バラいろダンディ』も含めると、12年半も情報番組のMCをやり続けました。しかし、その期間はお笑い芸人として表立った活動はほとんどなく、帯番組に専念していた印象です。昨年、番組が終わったときに『もう一度芸人としてやりたい』という趣旨のことをyahooのインタビューで語っていましたが、それを実行に移したのでしょう」(同)

 ふかわは慶応義塾大学在学中に芸人デビュー。長髪に白いヘアーバンドをトレードマークとし、シュールな一言ネタですぐさまブレーク。当時は“シュールの貴公子“とも称された。

「事務所は違いますが、同期は有吉弘行さんや劇団ひとりさんなど、お笑い界ではかなり粒ぞろいの世代です。当時は高学歴芸人というのも珍しかったですし、とにかくシュールなネタやビジュアルも含めすべてが新しかった。いわゆるセンス系芸人としてネタ番組を席巻し、当時は『電波少年』のヒッチハイク企画で売れた有吉さんとは違って、ちゃんとネタで評価されてのしあがってきた印象です。デビュー3年で『笑っていいとも!』のレギュラーになり、深夜枠では次世代を担う芸人としてネタを量産し続けるという、本当のエリート芸人でしたね。そして、2000年に始まった『内村プロデュース』あたりからイジられ芸人として開花。内村(光良)さんとのコンビネーションもよかったのですが、トークが主体のひな壇バラエティー番組が増えるにつれ、露出が減っていきました。それでも“ひな壇芸人”にはならず、30代後半で情報番組MCに鞍替えしたのは賢明な判断だったのかもしれません」(同)

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