
漫画家・東村アキコさんの自伝的作品を実写映画化した『かくかくしかじか』。東村さんが高校時代に出会った絵画教室の日高先生との実話をもとにした物語。漫画家になる夢を持つ明子(永野芽郁)を、大泉洋さん演じる日高先生はスパルタ指導する。作品や人生の転機について、大泉さんと東村さんが語り合った。AERA 2025年5月19日号より。
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──日高先生は厳しくも、東村さんの漫画家人生の基礎をつくってくれた師匠でもある。
東村:日高先生からは「愚痴を言ったりいじけたり、落ち込んだりする時間は、絵を描く上でまったく意味がない」ということを自然と学びました。漫画家になって編集さんにボツにされたり怒られたりしても、日高先生の指導に比べたら「ん? 田村正和さんかな?」くらい、やさしくて。
大泉:あっはっは。
東村:ほかの漫画家さんからは「これからどうしよう」という悩みをよく聞きましたが、私には一切なかった。常に「そんなこと考えていてもしょうがない、描くしかない」と描いて、だから今まで漫画家を続けてこられました。それはどんなに落ち込んでいても日高先生に頭をはたかれて「描け!」と言われてきたから。自分の後ろ向きな考え方を掘り下げず、手を動かすことを覚えたからだと思います。
大泉:私にはそういう存在の人がほとんどいないので、うらやましいなと思いますね。
東村:大泉さんには「水曜どうでしょう」の経験がおありになりますよね。若者が厳しい状況に置かれる、その経験がある人とない人は違う。
大泉:たしかにあれで鍛えられはしましたけどね。あえて私に日高先生のような存在がいるとすると北海道で役者を始めた時の劇団「イナダ組」の主宰・稲田博さん。「描け、描け、描け!」じゃないけれど「いけいけ!」「もっとだ、もっと!」みたいなことをいつも言われました。まだ元気にしていますけどね、稲田さんは(笑)。
──人生に悶々とし、迷う瞬間は誰にもある。明子と日高先生の関係は多くの人に共感や勇気を与えてくれる。
大泉:私の転機は東京で仕事をするかどうかというときですね。正直、北海道でずっとやっていてもよかったと思うんです。ただ10年間、同じバラエティーとラジオと劇団のお芝居の繰り返しに閉塞感を感じるようになった。東京の仕事へと舵を切ったときには不安もありましたけど、人生が動いた!と感じました。