
日本を代表する企業や組織のトップで活躍する人たちが歩んできた道のり、ビジネスパーソンとしての「源流」を探ります。AERA2025年5月5日-5月12日合併号より。
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1979年4月に入社して約1カ月の研修を受け、東京・西新宿の「三角ビル」が愛称の住友ビルへ赴任した。入居していた東京総局の契約奉仕課が、配属先だ。保険料を契約者の給与から天引きする手配を受け持つグループで、大きなミスをした。それも、同じミスを2度やった。
当時、天引きの多くは契約者が勤める会社が振り込む給与から自動的に差し引いていた。ただ、一部の企業や団体は自動化されていないため、契約者のコード番号や口座番号などを住友生命で入力し、引き落とした。そのコード番号の転記で、別の契約者と打ち違えてしまう。
さすがに、青ざめた。1度目は相手企業の担当者が「大丈夫です、修正しておきますから」と言ってくれて、騒ぎにならずに済む。でも、2度目は怒りの電話がきた。間違えて引き落とした人へ返金にいき、次に引くべき人のところへいく。埼玉県で、かなり遠かったのを覚えている。
あってはならないミス。だが、落ち込んだりはしない。10代から諦めがよく、切り替えが早い。すぐに「ミスが重なるには、システムのどこかに問題があるはずだ」と、天引きの仕組みを調べた。
上司に言われて、やったのではない。「他人に言われてやるのではなく、自分で考えて決める」──自由で、それが許された校風の関西学院中学部(兵庫県西宮市)の3年間で生まれた、橋本雅博さんのビジネスパーソンとしての『源流』が東京のオフィスへも流れていた。職場の面々に集まってもらって問題点を説明すると、皆が「この人、いままでの新人と違うね」と言って、みる目が一変する。