だが、訪ねた商社に「うちへこいよ」という手応えはない。「住友生命はすごく親切だった」との印象が強く、翌日もいくと、また歓迎されて「いい会社だ」と思って決めた。79年4月に入社、東京総局で冒頭のミスを経験する。

バブル下で好成績忙しくても楽しんだ初めての営業現場

 初めて出た営業現場は、入社して丸10年が近づいた89年1月からの町田支社勤務だ。支社は東京都西部の小田急線町田駅近くで、傘下の支部を含めて、営業職員は約400人。営業担当課長の肩書で保険契約の応援へいっていたら、支社長に「雑用みたいなことをやっていないで、支部長を一度やってみろ」と言われ、支部長が研修で不在となる支部へ代理に赴いた。

 いくと、女性営業職員が15人。一人ずつと1週間ほどかけて食事へいき、どんな会社を訪ね、どんな客がいるかを聞く。すると、みんなが「本気でやる気があるな」とみてくれたようで、すべてがうまく進む。バブル経済下で投資型の保険もよく売れて営業職員の給与も上がり、みんな忙しくても楽しく取り組んだ。

「会社人生で一番楽しい時期だった」と振り返る3年9カ月。中学校からの『源流』の流れに、「みんなが楽しめる場」をつくるという水流が加わり、流れは幅を広げた。

 2014年4月社長になったが、『三国志』の諸葛孔明のような軍師役の方がいい、と思っていた。社長になるとメディアに写真が載り、電車に乗るとジロジロみられそうで嫌だった。内示されて妻に話すと、「嫌なら、断って会社を辞めればいいじゃない」と言われた。妻は、最初の職場の契約奉仕課の同期生だ。

 社長就任の8年前、執行役員になって当時の社長が掲げた「品質経営」の具現化を任された。軍師役は、自信がある。「品質」の基準に、保険契約が満期を迎えた客に「また続けたい」と言ってもらえる継続率と、採用した営業職員が辞めずに一人前になっていく育成率を置き、二つの数字を徹底的に重視した。

 社長として旗印は「お客様第一」とした。営業現場の経験が、土台にある。「お客様第一」は、在任中に最も多く口にした言葉だ。2021年4月に会長。「もう自分がいなくても大丈夫、次の人にバトンタッチする」との選択に『源流』からの流れの先は任せる、との思いを重ねた。(ジャーナリスト・街風隆雄)

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