あるとき、歌舞伎町の日々を思い出し、出会ったみんなのことを思いながら、ぱっぷすのメルマガに文章を書いた。(以下、原文ママ)
とにかく居場所がなかった。本気で心配してくれる人間なんていなかったよね。実際、いまもそんな気がしている。なにもなくて、誰もいなかった。そんな私たちはきっと、お互いに依存して生きている。ずっとそばにいてくれなきゃ「裏切られた」と思い、少しでも距離が離れたら「大事にしてくれてない」と思い、そんな行き過ぎた被害妄想も私たちにはつきものだよね。必要とされたい。孤独なんてもう嫌だしね。
私の仲間はこんな奴らだ。男に依存して都合よく金だけ取られて、それでも傍にいる奴。親に相手にされなくて、酒を飲まないとやってられない奴。いつも笑ってなにも考えてないふりの奴。でも君たちにはきっとたくさん泣いて、過去、いま、未来のすべてに絶望して、そういう生活で性格にならざるを得なかった。それぞれのストーリーがあるのだろう。
私も歌舞伎にいた頃は寂しくて仕方がなかった。誰でも相手にしてくれれば心地よかった。でも、その分だけ騙されることもあった。お金を盗られたり、笑いものにされたり。辛くて逃げて、それでも頑張って必要とされようと好きでもない酒を飲み干し、盛り上げて気に入られるようにしていた。歌舞伎にいると1人ではないけど、辛いのはきっと心の奥の傷はきっと何をしても治らなくて、またそれに気がつくことが辛かった。
楽しいはずの歌舞伎にいるのに、さらに虚しくなるんだよね。たぶんお前たちもそう。毎日、眠るのが怖い。明日、大事な誰かが自殺するかもしれない。もしかしたら自分が吹っ切れてビルから飛び降りるかもしれない。明日住むところがなくなるかもしれない。死ぬことと居場所がないことは、私の心のなかでは隣り合わせだった。ひとりで泣いて歌舞伎を歩く。「誰か私を慰めて」と心では叫ぶが、現実は通りがかりの男に笑われたり、性行為が目的の男が近づいてくるだけだ。
それでも、なぜ歌舞伎から抜け出さないか。それは自分自身が弱いことを知っているからだ。居場所もなくて人生なんて…と思う私たちからすると「ここでしか生きられない」と本気で思う。