2年前、膵臓がんのため64歳で旅立った稲葉真弓の遺稿小説集である。
 表題作「月兎耳の家」は、初老に近づいた主人公の「私」が元女優志願の老いた叔母を施設に送るまでの話。「月兎耳」とはベンケイソウ科の地味な植物。ラスト部分に〈老婦人のさして長くはないだろう晩年を見届ける〉という主人公の呟きがあるが、そこからは十分に思いを果たせぬまま逝った著者の切なさが伝わる。
「風切橋奇譚」は、死の前年に1年間雑誌に連載された幻想小説。作者はこの時すでに死を覚悟していたに違いない。あの世と現世を行き来する物語で、著者は涙を流しながら最後の力を振り絞って綴ったのでは、と思わせる雰囲気が文章に流れている。
 収録された3作品からはともに人生の無常、生命の無情が感じとられる。

週刊朝日 2016年11月25日号