すっかり「ママ」の風格、松本伊代 (c)朝日新聞社
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伊代ちゃん、という感じの妹キャラ(1982年撮影)(c)朝日新聞社

 8日放送の「春のさんま御殿スペシャル」(日本テレビ系・よる8時)は、「最強2世と親子参観日」「一人暮らしの大後悔祭」。「最強2世と親子参観日」では松本伊代が息子・小園凌央と初共演、新山千春、野々村由紀子も娘とトークを繰り広げる。松本伊代の過去の記事を再掲する(この記事は「AERA dot.」に2019年10月20日に掲載されたものの再配信です。本文中の年齢、肩書等は当時のもの)。

【写真】かわいすぎるデビュー当時の伊代ちゃん

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デビュー時は妹キャラだった

 10月21日は、松本伊代のデビュー記念日である。38年前、彼女は「センチメンタル・ジャーニー」で歌手デビューした。「伊代はまだ16だから」で知られる大ヒット曲だ。

 そのB面には「マイ・ブラザー」という曲が収められている。デビュー時のキャッチコピー「瞳そらすな僕の妹」をコンセプトに、大好きな兄と似た男子を好きになる少女の気持ちが描かれたものだ。また、彼女は歌手デビューに先駆け「たのきん全力投球!」のミニドラマでテレビに登場していた。役柄は田原俊彦の妹、というものだ。

 そう、彼女は「妹」キャラで世に出たのである。 

 しかし現在、彼女をそういうイメージで見る人は少ないだろう。それに代わるパブリックイメージがあるとすれば「ママ」だ。これは実際、2児の母であることはもとより、夫のヒロミが「ママ」と呼んでいるところが大きい(彼女も相手を「パパ」と呼んでいる)。また、05年には同期の堀ちえみや早見優とともに「キューティー★マミー」というユニットを結成したし、15年には長男の小園凌央が芸能界入りした。芸能界を代表する「ママ」タレントのひとりだ。

 が、デビュー当時の彼女しか知らない人が、今の姿を見たらちょっと驚くかもしれない。たとえば「Boom」というサブカル雑誌の82年12月号が松本伊代特集を組んでいる。田中康夫や糸井重里といった当時の文化人がコメントを寄せるなか、柏原よしえ(芳恵)派だという経済人類学者の栗本慎一郎がこんな発言をしていた。

「中性的と言うよりは、無性的だね。(略)だけど、伊代なんかお嫁さんにしたらゼッタイだめだろうね。秩序感がないもんね」

 なかなか辛口ではあるが……。実際、156センチで38キロ、バスト72というデビュー時の体型は「性」をあまり感じさせなかったし、その性格は今以上に無邪気で天真爛漫、つまり子供っぽかった。それが「お嫁さん」どころか「ママ」としてもそこそこやれているのだ(逆に、体型も安産型で今上天皇のお気に入りでもあった柏原は今も独身。人生というものは面白い)。

 では、伊代はいつから「ママ」になったのか。生物学的にいえば、長男を宿したときということになるのだろうが、精神的にはそれ以前、ヒロミとの交際中だと考えられる。

ヒロミのケガで母性が目覚めた

 ふたりの出会いは89年に、彼女が司会をする「オールナイトフジ」にヒロミがゲスト出演したこと。やんちゃ系が好みだったという彼女がアプローチするかたちで交際に発展し、93年に結婚した。その距離を一気に縮めたのは、91年にヒロミが負った大ケガだ。深夜番組「1or8」で人間ロケット花火に挑戦し、大やけどをした際、彼女は病室を見舞ったり、自宅療養中に包帯を替えてやったりした。この経験を通して、母性的なものに目覚めたのではないか。

 それから十数年後、ヒロミは芸能活動をいったん休止し、実業に精を出すようになるが、そういう生き方を可能にしたのも彼女の内助の功だったとされる。引き続き、母性的なものが発揮されていったわけだ。

 そんな彼女を、ヒロミがいつから「ママ」と呼び出したのかは不明だが、はっきりとしているのはこの男が、ことネーミングにかけては天才的なことだ。年上の先輩で実力者でもあるビートたけしを「たけちゃん」タモリを「タモさん」和田アキ子を「アコちゃん」と呼ぶなどして、自分自身のランクアップと大物のカジュアル化に成功してきた。

 そういう男が、妻の呼び方に「ママ」を選び、公の場でもそれを盛んに使うようになったのである。これは彼が、彼女の本質に「母性」を強く感じ、どこまで意図的だったかはともかく、世にも広めたいと思ったからだろう。いわば、ヒロミが「伊代=ママ」というパブリックイメージを作ったのだ。

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