淡々と生きている四十手前の女性の描き方が絶妙。現状に大きな不満はないが、満ちたりているわけでもない。一年前、家族から、兄夫婦に子供が生まれるため実家を二世帯住宅に建て替えると宣言された時は、強烈な寂しさをおぼえた。そのため由鶴は、衝動的に女性向けの風俗に電話をかけた。セラピストとして現れたのは、宇治と名乗る青年だった。
月に一度彼の施術を受けるようになって一年。男女関係に不慣れな由鶴はいまだにウブな印象だ。本職の合間に副業でセラピストとして働いているという宇治は、穏やかで気さくな若者だ。ある時、由鶴が企業向けの展示会の自社ブースで接客していたところ、顧客として宇治がやってくる。由鶴は動揺しまくり、言葉を噛み、宇治に「ばれるから、ふつうにして」と囁かれる始末。このうろたえっぷりが実にコミカルで、頭の中でコメディドラマにありそうな、とぼけた曲調のBGMが自然と流れだしたほど。
しかしそれをきっかけに、由鶴ははっきりと認識してしまう。「この人を好き」「この人からも好きになられたい」。でもそれが叶わないことは、よく分かっている。
自己憐憫も自虐もひがみもない由鶴が好ましい。多部ちゃんとの会話が面白く、この人がユーモアの持ち主であることがよく分かる。頭の中の言葉選びもユニークで、〈バブを二、三個埋め込まれたような、盛大に発泡し続ける脳みそで思う〉〈牛舎から脱走した牛みたいな、すがすがしい気持ちになっていた〉といった、「なんでその表現?」と思わせる比喩がなんとも楽しい。