『コズミック・ダンサー:ザ・ライフ・アンド・ミュージック・オブ・マーク・ボラン』ポール・ローランド著
『コズミック・ダンサー:ザ・ライフ・アンド・ミュージック・オブ・マーク・ボラン』ポール・ローランド著
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『コズミック・ダンサー:ザ・ライフ・アンド・ミュージック・オブ・マーク・ボラン』
ポール・ローランド著

●第13章 エレクトリック・ウォーリアー(電気の武者)より

 T.レックスは1971年4月6日、アメリカ・ツアーに向けて飛び立った。
 ニューヨークに到着した彼らは、3夜フィルモア・イーストに出演する。それは、彼らの新しいアメリカのレーベル、ワーナー・リプリーズがセッティングした、プロモーションを目的とするショーケース・ライヴだった。

 プロデューサー、トニー・ヴィスコンティはその舞台裏で、タートルズのかつてのメンバー、ハワード・カイランとマーク・ヴォルマンが、57丁目のメディア・サウンド・スタジオをバンドのために予約していることを知った。彼らは、これというプランもなく、ただイギリスの友人たちにアメリカの一流のスタジオを試用する機会を与えようと思った。
 後にロックの名盤に数えられる『エレクトリック・ウォーリアー』は、そうした明確な意図のないセッションから始まった。

 最初の2曲は3月16日に、ロンドンのトライデント・スタジオで収録されていた。だがその時点では、次のアルバムのために曲をキープするという意向はなかった。マークは、作った曲に新鮮さや刺激を感じる間にレコーディングすることを強く望んだ。彼は、アルバムの収録曲がすべて揃うまで待てば、彼自身の曲に対する熱意が薄れると思った。

 マークはどこへ行く時も、罫線を引いたノートブックを持参した。そのノートには、バンドがどんな状況下でスタジオに入ろうと、試すことのできる歌詞やコード・シーケンスがぎっしりと書き込まれていた。ヴィスコンティによれば、新しいアルバムの一連のセッションが始まると、試行錯誤を重ねつつ収録を終えるまで、マークは決して、ノートを閉じなかったという。T.レックスのアルバム制作に関して言えば、基本計画や全体構想は何もなかった。

 ソング・ライティングは、彼にとって努力を要しない、息をするような自然な行為だった。アイデアが、次々に湧き出た。だが、そうした着想の源や創作のプロセスについては、彼自身説明がつかず、質問を受けると、漠然とした返答になりがちだった。

「コードの中に幻覚作用があるんだ。誰かがCメジャーのコードを弾くと、25種類のメロディーやシンフォニーが耳に聴こえる。だから、その中から一つ引き出させばいいんだ。だけど、まったく正常だよ。それに、負担も感じない」

 また、彼はその秋、「2,3時間演奏していると、クリエイティヴな異次元の世界に入るんだ。そして、すべてをレコーディングする」とも、『ビート・インストルメンタル』に語っている。

 ドラマー、ビル・レジェンドは、彼らがサウンド・チェックの前にニューヨークのホテルで時間を潰していた時、マークにアイデアが閃いたと言う。

「マークが、彼の部屋に来て、思いついたばかりの曲を聴いてくれ」と言ったんだ。それを聴かせると、彼はどう思うか尋ねた。俺は、見込みのある曲だと答えた。それが、《ゲット・イット・オン》だった。

 彼はその後、俺の部屋にドラムスがあるかどうか尋ねた。ドラムスがあれば、すぐに曲に取り組めるからだ。俺は修理していたスネアがあることを思い出し、取りに戻った。で、俺たちはその曲を演奏し、次のレコーディングで取り上げられるよう、ブレークや構成を練りあげた。
 だが、彼とそういう風にいろいろ試す機会をもつなんてことは、めったになかった。俺たちはほとんどいつも、スタジオで初めて曲を聴き、ファースト・テイクの前に、トニーがそれぞれにマイクを用意し、コントロール・ルームで微調整する間に、2,3回リハーサルする程度だった。

「マークは、50年代の古いロックンロールのレコードのようなライヴ感を求めた。彼は、いろんなバンドが当時やり始めていたように、それぞれの楽器を一つのトラックに個別に収録していくと、無駄にトラックを使い、無駄にスタジオで過ごすだけで、活気が失せると思った。マークは、一気にレコーディングし、後で色を添えたがった。
 そして、それが俺たちに合った。俺たちはめったに、6テイク以上必要としなかったし、たいてい2,3テイクで物にした。

「『エレクトリック・ウォーリアー』にはすばらしい雰囲気がある。バッキング・トラックを生録にしたからだ。バンドが向き合い、反応を探り合っているんだ。俺たちは抜かりなく、彼の視覚的な合図を見守る必要があった。

 マークは乗りに乗って、跳ね回り、キューバン・ヒールで木の床を踏み鳴らし、小さな歓喜の声を上げていた。で、それがバックグラウンドに収録されている。楽器別にレコーディングすれば、そういうものは再生できない。それは、リアルな音じゃない」

 T.レックスが5月3日に、イギリスにテープを持ち帰った時、彼らのシングル、《ホット・ラヴ》は、一日に28000枚を売り続け、チャートのトップに立っていた。フライとワーナーは、バンドがそうして注目を集める間に、新しいアルバムを市場に出したいと考えた。

Cosmic Dancer : The Life And Music Of Marc Bolan
By Paul Roland
訳:中山啓子 
[次回12/19(月)更新予定]