逮捕され拘置所に入る三井さん(2002年4月)

テレビの告発インタビュー当日の逮捕

 2002年4月、三井さんは「もう我慢ならない」と大阪高検公安部長という肩書と実名を出して、告発する決意を固めた。週刊朝日で実名インタビューを掲載するとともに、4月22日午後からテレビ朝日の「ザ・スクープ」の収録をする手はずになった。私も午後から三井さんの取材をする準備をしていた。まさにその22日の朝、11時半ごろだった。

〈大阪高検公安部長の三井環容疑者を逮捕〉

 テレビ画面のニュース速報に、ただ、唖然とするばかりだった。

 三井さんは、新聞、通信社、テレビ各社のインタビューに応じ、国会でも裏ガネ問題を証言して辞職するという手はずも整えていた。そのため、民主党幹事長(当時)の菅直人氏と打ち合わせをしていたが、逮捕によってすべて消えてしまった。

 厚子さんが振り返る。

「家族にはまったく裏ガネ告発のことは言っていませんでした。お昼前に子どもから電話で『お父さんが逮捕ってテレビに出ている』と言われてスイッチを入れると、『三井環逮捕』と出ていて……。驚くばかりでした」

 大阪地検特捜部が三井さんを逮捕した容疑は、「マンションを購入する際、登録免許税の軽減税率適用を受けるために実際には住んでいないのに虚偽の転入届を提出して証明書をだまし取った」ことが詐欺罪や公務員職権濫用罪にあたるというもの。公判では申請のための紙1枚をもらっただけだったこともわかった。“微罪”による異例の「口封じ逮捕」だった。

 三井さんは逮捕後、一貫して否認を貫き、11カ月も大阪拘置所で勾留された。その間、私は数十回、面会を重ねた。三井さんは顔を真っ赤にしながら、怒っていた。

「検察は裏ガネをばらされると困る、いや裏ガネを使っていた幹部検事がみんな逮捕されることになるので、ワシの口を封じるために逮捕した。逮捕の容疑も、申請の紙を役所からもらっただけ、これがなんで犯罪なんや。それを特捜部がやるなんて、国策捜査以外のなにものでもない」

「菅直人さんに国会に参考人として呼んでもらい、検察裏ガネの実態を全部しゃべり、その場でバッジを外す予定だった。悔しいわ」

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