垣見 当時は防衛局長が村田直昭さんで、のち(95年4月に)防衛事務次官になる人です。私は以前、大蔵省(当時)主計局に出向し防衛庁担当の主査をしていたことがあり、村田さんとは面識がありましたので、電話でアポを取り防衛局長を訪ねました。

 村田さんに、松本で発生した事件について説明した上で、「使われたのはサリンであるとの鑑定が出ていて、今後その捜査を進める必要があるが、警察には十分な知見がないので、防衛庁として協力、援助してください」とお願いしました。

 村田さんには説明を理解していただけたようで、その後は警察庁捜査一課の係官が防衛庁とコンタクトするようになり、7月下旬には、警察庁の担当官が防衛庁の陸上幕僚監部 化学班と連絡をとり、長野県警察の担当官と警察庁科警研の職員も合わせて、陸上自衛隊の「化学学校」を訪問して情報交換を行っています。

 また、7月11日に長野県警察の町田巻雄刑事部長が捜査状況の報告に来庁しています。その際「捜査の状況から、河野さんの行動には不審な点がある。容疑が濃厚だ」という説明でした。それもふまえて、今後の方針としては、「現段階では犯人に決め手があるわけではないので、いろいろな可能性を前提に、地取りを中心に捜査を徹底する」として、「サリンという特別な化学兵器が使われており、製造にあたっては一定の原材料が必要だろうから、その線からも捜査を進めましょう」となった。

 その後、7月末に河野さんが退院をしたのを機に長野県警察では河野さんの事情聴取を実施しましたが、供述はサリン事件への関与を否定する内容で、長野県警察としても、その後の捜査をどう進めるのか苦慮する事態となっていました。

──7月からすでにさまざまな動きがあり、垣見局長も指示を出し行動もしていたのですね。それをふまえて、8月上旬での集中的な情報集約をもとに、オウムの危険性を認識するに至り、松本サリン事件にオウム教団が関与した疑いが濃くなったわけです。その時点でのサリン材料の調達状況の把握などを具体的に教えていただけませんか。

 松本サリン事件とオウム教団との結びつきについては、この時点では、警察としてまだ具体的な手掛かりを把握するまでには至っていません。ただ、オウム教団がサリンの原材料を調達しているというのは、薬品ルート捜査のなかでオウム関連企業の名前が出てきて判明しました。

──ちなみに、松本サリン事件が裁判官の宿舎を狙った犯行だというのは、当時はわからなかったのですか。

 少なくとも8月段階では、そういう話にはなっていませんでした。

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地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか――元警察庁刑事局長 30年後の証言死者14人、負傷者6千人以上を出した未曾有のテロ「地下鉄サリン事件」が起きてから2025年3月で30年が経つ。捜査の最終意思決定者が当時の資料やメモをもとに初めて証言。オウムとサリンの関係を掴みながらも、なぜ警察は事件を防げなかったのか。捜査の全内幕を語る。
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