
──8日に行われた神奈川県警との打ち合わせにおいて、磯子署捜査本部からの情報提供は、「オウムの機関誌にサリンについて言及部分がある」という内容だけでしたか。
垣見 私自身はその会合には出ていないのですが、上がってきた報告で重要だったのは、機関誌の件でした。打ち合わせの場では、機関誌の話にとどまらず、それまでの坂本事件の捜査で蓄積されていたオウム教団に関するさまざまな情報について、情報交換がなされたと思います。
──会合に出たのはどなたですか。
警察庁では南雲明久・捜査一課長、それから稲葉一次・捜査一課広域捜査指導官室長と補佐が出ています。神奈川県警察からは磯子の捜査本部の担当官が出ました。
──いまお話しくださったように、94年8月上旬に情報が集中して上がってきて、オウム真理教に対する危機感を抱くことになった。きっかけはやはり松本サリン事件ですね。それ以前は、危険団体との認識をお持ちではなかった、ということでいいでしょうか。
残念ながら、その通りです。
防衛庁とのコンタクト
──そうなると、警察が対オウムで本格的に動き出す、まさに原点となったのが松本サリン事件ですが、当時の状況をここで詳しく聞かせてください。とりわけ8月以前で、事件発生からの警察の対応、あるいは刑事局長としての指示について、教えていただけますか。
6月27日に事件が発生した当時、特異な内容だったので、異例なことですが、翌日28日科警研(警察庁科学警察研究所)の所長永野耐造氏が現地に行っています。また被疑者不詳の殺人事件ということで河野さんのお宅の捜索、差押さえをしています。そして、7月早々までに長野県警察科学捜査研究所と長野県衛生公害研究所との双方から「サリンと推定される」との鑑定結果が出ました。
──記者発表は7月3日午前9時でした。
鑑定からすれば、「通常考えられる事案ではなく、どうも化学兵器サリンが使われた可能性がある」とのことでした。私も、サリンと言われ、文献で一応調べましたが、よくわからないので、警察庁の科警研に相談したところ「もし国内で知見があるとすれば、防衛庁(当時)でしょう」と言うので、さっそく防衛庁へ出かけました。