約1300人の聴衆が聴き入った(東大阪市文化創造館)(撮影/写真映像部 小林 修)
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 作家・司馬遼太郎さんをしのんで開かれる「菜の花忌シンポジウム」。今年は2月11日、司馬さんの自宅があった東大阪市で行われた。今回のテーマは「『空海の風景』を読む」。空海という希代の天才の生涯と思想は、現代の私たちに何を訴えかけるのか──。AERA 2025年3月17日号より。

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司会・上田早苗:実は、このテーマに決まって初めて、『空海の風景』(中公文庫、上下巻)を読みました。ところが、小説と思って読み始めたら、勉強をするような記述が多かったりで、なかなか前に進まなくて。ただ、上巻の後半あたりから、一気に夢中になっていきました。皆さんはどのようにこの本に立ち向かわれましたか。

澤田瞳子:確か、最初に手に取ったのは高校生のときです。そして大学時代、小説が大嫌いと公言する歴史の先生がいたのですが、「『空海の風景』だけは評価する」とおっしゃっていて、「そういうなら、もう1回読んでみようかな」と再読しました。空海はなかなか書きづらい人物ですが、そういう人物を、「なるほど、こういう描写をされてしまうと、あとにつづく歴史小説家はどうしたらいいの?」と考えさせられてしまう作品です。

作品が無意識に身体化

釈徹宗:宗教思想、宗教文化を専門に研究しております。浄土真宗本願寺派の僧侶でもあって、真言密教は専門外なのですが、せっかくのご縁なので参上しました。

この小説は、本人を取り巻く周辺を綿密、克明に描くところに大きな特徴があると感じます。私も、切支丹(キリシタン)に転向した禅僧・不干斎ハビアン、江戸時代大坂の町人学者・富永仲基という人物の評伝を書いたことがあるのですが、空海とその2人は、私のなかで一つの流れのなかにあります。一つは、比較という方法論で思考するところ。そして3人とも世界に先駆けオリジナルの比較宗教論を展開した人物です。

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一切衆生を救うことこそが本当の大きな慈悲