
1961年のニューヨーク。まだ無名のボブ・ディラン(ティモシー・シャラメ)は敬愛する歌手を見舞い、人気歌手ピート・シーガー(エドワード・ノートン)に出会う。病室で歌うディランの才能を見抜いたシーガーは、彼をクラブで歌わせるが──。本年度米アカデミー賞8部門ノミネート「名もなき者 A COMPLETE UNKNOWN」。脚本、製作も務めたジェームズ・マンゴールド監督に本作の見どころを聞いた。
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ボブ・ディランの曲は小さいころ父が聴いていて、私も大学時代から好きでした。でもそれが本作を手がけた理由ではありません。この企画がいつ来たとしても引き受けたと思います。なぜならこれはタイムレスなおとぎ話だから。人が抱く大志や自分と他者について、またアーティストに私たちが押しつけてしまう期待について、語るべき物語だと思ったからです。
本作は1961年、名もなき若者だった彼が名声を得てゆく4年間にフォーカスしています。脚本に彼の恋人との関係など個人的な内容を入れていたので、実は最初、彼のマネージメントチームはナーバスになっていた。しかしディラン本人が脚本を「気に入っている」と言ってくれました。そして撮影前に彼に会うことができたのです。
彼と話して彼について大衆がどれほどレッテルを貼っているかがわかりました。謎めいていてちょっと傲岸だ、と。彼がフォークからロックに転向した理由もさまざまに推測されていますが、彼自身「自分でもよくわからない」と言うんです。ただ生涯ずっと同じ音楽ばかりを歌い続けることは自分にはできなかったと。常に変化することが「彼」なのです。

本作で一番描きたかったのは「天賦の才が周囲の人との間に壁を作ってしまうのではないか」ということです。アーティストにとって大きな重荷だと思います。彼らは私たちに「なぜそれができるのか」を説明してはくれません。だからこそ彼らの作品はミステリアスでマジカルなんですよね。
俳優たちはみんな素晴らしいパフォーマンスをしてくれました。ただティモシー・シャラメはディランに会っていません。ディランはシャイなんです(笑)。彼は音楽界のスターなのに。でもまさにそれが彼らしいなと思っています。
(取材/文・中村千晶)
※AERA 2025年3月10日号

