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「否定も断言も衝突もしない」
20歳を迎える青年だった陛下から、多くの知的なエピソードが紹介された記者会見。しかし、陛下の同級生のひとりは、「品行方正」な陛下について、こんなことを明かしていた。
「初等科の低学年までの宮さまは、やんちゃという言葉がふさわしい。物を投げたり、廊下を走ったり、奥歯が見えるほど笑ったり、いたずらはひと通り済ませたのではないでしょうか」
懐かしい光景を思い出しながら、苦笑する。
「赤坂御用地に遊びに行った僕たちは池を跳び越えて遊んでいたが、僕はボチャンとはまって全身ずぶ濡れ。それを悪ガキに交じって、宮さまも『わあ』とはやし立てていた記憶があります」
中等科、高等科になると、そうした「やんちゃ浩宮」の面影はなくなり、温厚で知的な少年、そして青年へ成長していったという。
「たぶん初等科のころから少しずつ始まった帝王学を学ぶ時間が、30分、1時間と積み重なった結果でしょうか。中高生のときにはすでに、『そうですね』『そうなったらいいですね』と断言も否定もされない、まして人と衝突のない話し方だったように記憶しています」
陛下が中等科のころ、温厚で盆栽好きだったために同級生から「じい」というあだ名で呼ばれ、ご本人もそれを気に入っていたことは知られたエピソードだ。
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「彼を一人前にするのが仕事」と寛仁さま
そんな陛下の成長を見守っていたのは、ご両親である上皇ご夫妻だけではなかった。
陛下が学習院大を卒業し、成年の会見からだいぶ経た時期。学習院の関係者が集う会合で、陛下の親しい友人たちが世間話に興じていたとき、三笠宮家の故寛仁さまが彼らに歩み寄ってきた。
「おい、わかっているのか」
学習院の先輩でもある寛仁さまの一声に、一同はいささか戸惑いつつも、背筋を正して返事をした。
「なんでしょうか」
すると寛仁さまは、思わぬ言葉を口にしたという。
「彼を一人前にするのが仕事だぞ」