19歳の夏に浩宮さま(現・天皇陛下)は、初めておひとりで公式行事に出席し、北海道スポーツ少年大会開会式で初の「おことば」を述べたあと、参加した中高生たちとフォークダンスを楽しんだ=1979年8月、北海道・洞爺湖畔

「否定も断言も衝突もしない」

 20歳を迎える青年だった陛下から、多くの知的なエピソードが紹介された記者会見。しかし、陛下の同級生のひとりは、「品行方正」な陛下について、こんなことを明かしていた。

「初等科の低学年までの宮さまは、やんちゃという言葉がふさわしい。物を投げたり、廊下を走ったり、奥歯が見えるほど笑ったり、いたずらはひと通り済ませたのではないでしょうか」

 懐かしい光景を思い出しながら、苦笑する。

「赤坂御用地に遊びに行った僕たちは池を跳び越えて遊んでいたが、僕はボチャンとはまって全身ずぶ濡れ。それを悪ガキに交じって、宮さまも『わあ』とはやし立てていた記憶があります」

 中等科、高等科になると、そうした「やんちゃ浩宮」の面影はなくなり、温厚で知的な少年、そして青年へ成長していったという。

「たぶん初等科のころから少しずつ始まった帝王学を学ぶ時間が、30分、1時間と積み重なった結果でしょうか。中高生のときにはすでに、『そうですね』『そうなったらいいですね』と断言も否定もされない、まして人と衝突のない話し方だったように記憶しています」

 陛下が中等科のころ、温厚で盆栽好きだったために同級生から「じい」というあだ名で呼ばれ、ご本人もそれを気に入っていたことは知られたエピソードだ。

2007年秋の園遊会に臨んだ寛仁さまと次女の瑶子さま。寛仁さまは陛下の学生時代の同級生に助言をするなどをして陛下を見守っていた=2007年10月、赤坂御用地、JMPA

「彼を一人前にするのが仕事」と寛仁さま

 そんな陛下の成長を見守っていたのは、ご両親である上皇ご夫妻だけではなかった。

 陛下が学習院大を卒業し、成年の会見からだいぶ経た時期。学習院の関係者が集う会合で、陛下の親しい友人たちが世間話に興じていたとき、三笠宮家の故寛仁さまが彼らに歩み寄ってきた。

「おい、わかっているのか」

 学習院の先輩でもある寛仁さまの一声に、一同はいささか戸惑いつつも、背筋を正して返事をした。

「なんでしょうか」

 すると寛仁さまは、思わぬ言葉を口にしたという。

「彼を一人前にするのが仕事だぞ」

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「甥として成長を見守ってきました」と陛下