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英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。
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トランプ大統領の就任式が終わると、米国のニュースでは、不法移民が手錠をかけられ、飛行機に乗せられる強制送還の映像が繰り返し流された。最近、同様の映像がBBCで流れていたので、また米国の話かと思っていたら、なんとわが英国だった。左派(と言われてきた)英労働党政府が、「トランプ式」の不法移民の強制送還を始め、内務省がそのビデオを誇らしげに公開している。
これはYouGovの世論調査のせいだ。右派ポピュリストの少数政党の支持率が、ついに二大政党を抜いた。リフォームUKが25%で1位、与党労働党は24%、保守党は21%だ。有権者の右傾化を見て、政府はトランプ的なものをまね始めた。
が、これは裏目に出ている。労働党支持者には激怒する人々がいるし、周囲の「右傾化する有権者たち」を見ても、「単なるプロパガンダ」「ファラージ(リフォームUKの党首)がよっぽど怖いのだろう」と冷ややかだ。まねは、どうしたって「本家本元」には勝てないのだ。
労働党の「不法移民強制送還作戦」にかかる費用は約4億ポンド(約800億円)に上ると伝えた英紙もある。これは聞き捨てならない。英政府は緊縮をやってきたからだ。国の借金が多すぎて医療や教育や公共インフラのために支出できない、苦渋の決断だとか言って、増税を宣言したのではなかったか。なのに、「トランプみたいなことをやってます」アピールのためなら、急に吝嗇(りんしょく)でなくなるのだ。
なぜ政府はその資金を医療制度へ投入しないのだろう。9年前にEU離脱に投票した人々の中には「離脱すれば巨額のEUへの拠出金をNHS(国民保健サービス)に投入できる」というデマを信じた人が多かった。左右関係なく大きな関心事であるNHSを全力で立て直すことが、英国の魂と呼ばれる医療制度を作った政党の「本家本元」の仕事ではないのか。
今の労働党は右も左も緊縮も反緊縮もどうでもいい、ただ売れてる政党のまねをすれば何とかなると信じて震えているチキン政党に見える。英国の若年層の半数が強力なリーダーによる統治を求めると答えた背景に、理念なき極中道政権の惨めな姿がある。
※AERA 2025年3月3日号
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