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「日本三大ドヤ街」の一つで、全国最大の日雇い労働市場があると言われる大阪市西成区の釜ケ崎。労働者たちによる暴動の歴史や、違法露店、覚醒剤の密売など、「治安が悪い」イメージを持たれることも多い。
しかし近年、違法露店や密売は警察の取り組みにより激減。また関西空港や歓楽街ミナミへのアクセスが良いことから、インバウンド客が宿泊する観光拠点として注目されている。
21歳で釜ケ崎に流れ着いた水野阿修羅さん(76)は、日雇い労働のかたわらで、賃金をピンハネする「暴力手配師」側との乱闘なども経験してきたという。釜ケ崎の人々の半生に迫った書籍『西成DEEPインサイド』(朝日新聞出版)より一部を抜粋・編集してお届けする。
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通称「カマ」と呼ばれる釜ケ崎の「生き字引」がいる。
紫色の髪がトレードマークの地域史研究家の水野阿修羅さん(76)だ。学生運動のセクト(党派)対立で狙われ、21歳の時に釜ケ崎にたどりついた。
それからはトラック運転手や工場勤務、建設作業……。1日限りの日雇い、30日以内の期間契約のどちらの日雇い労働も経験してきた。「阿修羅」は釜ケ崎でついたあだ名だ。過激な描写で話題になった漫画「アシュラ」(ジョージ秋山作)の主人公に似ているとして、定着していった。
1972年には、暴力団とつながって賃金をピンハネ(中抜き)するを追放する団体を仲間と結成した。
この年、相手の事務所に乗り込んで抗議したときのことだ。労働者が仕事を求めて集まる「あいりん総合センター」で拉致されそうになり、危うく難を逃れたが、事態はさらにエスカレート。同センターで木刀などを持った十数人と乱闘になった。
約50人の労働者仲間と取り囲んで「反撃」したが、共謀して暴力を振るったとする傷害罪などで、執行猶予付きの有罪判決を受けた。50歳のとき、大阪市が委託する特別清掃の指導役になった。65歳で定年退職するまで続けた。
一方、70年代から釜ケ崎の研究を始め、80年代に日本寄せ場学会のメンバーにも加わった。