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●加害者情報だけが突出する歪な報道 亡くなった人が希薄になりゆく感覚

 どうにも違和感を拭い払うことができない。7月下旬、神奈川県相模原市の障害者福祉施設で45人が殺傷された事件をめぐる報道についてである。

 戦後の犯罪史に残る凶悪事件だというのに、被害者の氏名や住所など肝心な情報は視聴者に閉ざされている。加害者側の情報ばかりが先走る報道の構図は、均衡を欠く歪なものと言うほかない。そのためだろう。事件の実相が少しも伝わってこない気がする。

 一部の全国紙は発生翌日の27日付朝刊で、神奈川県警が「家族の強い要望」を理由に被害者の名前を一切公表しない方針であると報じた。とくに毎日新聞はその記事を1面に掲載した。氏名の公表をめぐって捜査当局と報道機関の間に相当の確執があるに違いない―――そう直感した私は、ある民放局の報道幹部に事情を聴いてみた。

 やはり想像した通りだった。神奈川県警側は「被害者の多くが重度の障害者であり家族や関係者の様々な事情に特別な配慮が必要だ」と主張し、死亡した19人の性別と年齢を発表するにとどまった。それに対し、県警記者クラブ側は氏名の公表を強く求めており、話し合いは平行線のままだという。

 私が、より踏み込んだ被害者情報に接したのは、27日放送の日本テレビ「NEWS ZERO」が最初だった。殺害された被害者一人ひとりについて、その性別と年齢をテロップ付きで伝えていた。入手し得る情報を、ぎりぎりの範囲まで視聴者に伝え、事件の実相に少しでも近づこうとする報道姿勢に好感が持てた。

 その半面、画面に映る性別や年齢のテロップや音読を視聴していて、また別の感覚が頭をよぎった。「特別な配慮」によって匿名扱いされた犠牲者の一人ひとりがそれぞれの人格や人間性を喪失し、単なる記号のような存在になっていると感じたのである。本来あるべき事件報道とは、乖離しているのではないか―――私のなかで違和感は大きくなるばかりだった。

 被害者家族の感情を慮るあまり、亡くなった本人の名前や生前の情報にすっぽりと蓋を被せてしまうことによって、その人が本当に生きていたのかどうかの証さえ、あやふやになってしまうのではないか。私のなかにわだかまる疑問を知人や友人に投げかけてみた。

 「それは、家族や縁者に障害者のいない部外者だから言える綺麗ごとに過ぎない」
 「身内にいる障害者の存在を世間には知られたくないと思っている人は結構多いはずだ。当事者の感情や思いを逆撫でしてまで名前を発表すべきだと言うのは、メディア側の横暴ではないか」

 そういう答えがほとんどだった。それでも、私は「どんなに凄惨で凶悪な事件でも被害者の名前を出さない報道では、視聴者や読者に<世間のどこか遠い所で起きた他人事>という思いを抱かせ、事件そのものを風化、空洞化させてしまわないだろうか」と食い下がったが、賛同を得ることはできなかった。

 そして、前出の報道幹部とは別の局に所属する報道幹部にも話を聴いた。

 「まずは警察が被害者の名前を発表し、それを報道するかどうかを、それぞれのメディアが判断する。それが大原則です。だけど、今回の場合は(名前が判明したとしても)実際に報道すべきかどうかの判断は非常に難しいと思います。局内で議論を重ねていますが、『原則通りに報道すべき』という意見が根強い一方で、『時間が経過した今、あえて腫れものに触る必要はないのでは』という慎重論も出ています」

 「腫れものに触る」という表現にドキっとさせられた。たしかに今回の事件に対し、そういう感覚が世の中全体に広がっているような気がしてならない。

●障害者の匿名問題に一石を投じた「NEWS23」の複眼的視点

 そういうなかで、被害者の匿名化に真っ向から問題を提起した番組が8月1日に放送されたTBSテレビの「NEWS23」である。障害者の団体「障害者の自立と文化を拓く会」が神奈川県に対し「一般的に公表される被害者の氏名が、この事件に関して公表されないことに大きな疑問がある」と申し入れたことを伝えると同時に、同会代表の「亡くなってまで特別な存在として扱われるのかなぁ……障害者だから名前を出せないとしたら、それは差別」というコメントを紹介した。

 特集では、別の団体「自立生活センターくれぱす」事務局長の「なんで名前が出ないのだろう。障害があると、そういうことまで隠されなきゃいけないのか」という見解や、服部孝章・立教大名誉教授(メディア法)の「遺族感情を重んじる余り、事件の解明が遠のいてしまう恐れがある。プライバシーの尊重という形で色んなものを隠蔽し、発表しないやり方は、今後の社会のためにはならない」とする指摘も紹介した。

 TBSは他のニュース番組でも、被害者の家族を積極的に取り上げた。事件で負傷した障害者の父親とのインタビューを通じて、被害者家族といっても、その全員が名前の公表に反対しているわけではないことを視聴者にきちんと伝えていた。障害者の匿名化という重要なテーマについて、複眼的な視点から多様な見方や考え方を紹介していた点で、メディア本来の役割を発揮した。評価に値する報道だと思う。

 個人情報保護法が施行(2005年)されて以降、捜査当局や行政機関が「人権保護・プライバシー尊重」を御旗に、被害者の氏名・住所を発表しない傾向に一層の拍車がかかり、それを是とする社会的な風潮も高まりつつある。その結果、社会全般の匿名化が進み、実名報道は人権やプライバシーを配慮せず、反対に侵害しがちなものとみなされる風潮さえ出来上がりつつあるようだ。だが、本当にそうだろうか。行き過ぎた匿名化社会は「人権に配慮する社会」と同義語にはならない、と私は本気で危惧している。

 村越吉展ちゃん――その名は今でも私の記憶にしっかりと刻み込まれている。1963(昭和38)年3月、東京都台東区下谷で誘拐され、2年半後に遺体で見つかった当時4歳の児童である。この事件は、営利目的による幼児誘拐事犯の残忍さを世に知らしめ、同様の事件の再発を防ぐきっかけになった。半世紀以上が経った今でも、被害者「吉展ちゃん」の名を記憶に留め、事件のあらましを覚えている人は多いだろう。

●いとう・ゆうじ 元毎日新聞アフリカ特派員、元TBSロンドン支局長、元TBS外信部長。