1962年のパキスタン・インドネシア親善訪問では、明仁さまは発熱などで3度、体調を崩した。公務の傍ら、看病を続けた美智子さまも、疲労がたまったのか帰国間際に発熱してしまった。
帰国便が羽田空港に到着し、タラップを下りるおふたり。明仁さまは心配そうに何度も美智子さまを振り返り、気遣う様子をみせた。
「上皇さまを最後まで支えることが私の役目」
「即位以来、日本国憲法の下で象徴と位置付けられた天皇の望ましい在り方を求めながらその務めを行い、今日までを過ごしてきました」(上皇さまの85歳の誕生日会見)
重責を背負ってきた日々を、乗り越えたおふたり。現在は東京・赤坂御用地の仙洞御所で穏やかに暮らしている。
上皇さまは毎週月曜日と金曜日には皇居にある生物学研究所で、ハゼ科の魚についての研究も続けている。
美智子さまと20年以上の親交がある絵本編集者の末盛千枝子さんは、この夏に仙洞御所に美智子さまを訪ねた。部屋にはハゼが泳ぐ大きな水槽があった。
穏やかでとりとめのない話もあったが、美智子さまは戦火が続くウクライナ情勢などについて心を痛めていたという。
そしてご自分たちの生活については、「この赤坂の仙洞御所で上皇さまを最後まで支えるのが、私の役目だと思っています」と話したという。
12月、おふたりは私的に都内の劇場を訪れ、クリスマスの夜を舞台に少女クララの心を描くバレエ作品「くるみ割り人形」を楽しんだ。
終演後、穏やかにほほ笑みながら退席するおふたりに、場内では自然と拍手がわき起こったという。(AERA dot.編集部・永井貴子)