
吉村氏は辞める覚悟を決めた?
都構想の最初の住民投票があった15年当時、吉村氏は衆院議員だった。大阪市長だった橋下氏が住民投票の否決を受けて「政界引退」した際に、後継として大阪市長選に出馬し、当選。19年に大阪府知事選に当選し、知事に転じている。20年の都構想の住民投票の際は府知事として陣頭指揮を振るったが、否決されたことで、
「都構想再挑戦を僕がやることはない」
と否定していた。今回の都構想の再検討は、前言を翻すものだ。
藤川氏はこう見る。
「維新の新代表となった際、吉村氏は、維新は全国的な政党でなくてもいいという趣旨を話している。大阪中心の国政政党という方向に舵を切ったという意味でしょう。その背景に大阪都構想がある」
吉村氏は代表就任会見で、
「人生、ずっと政治をやるのではない。政治の世界にいる間は走り切る」
という趣旨の発言をしていたが、藤川氏はこれに注目して、こう話す。
「大阪都構想の住民投票での敗北で、橋下氏、松井氏と創立者の2人が去っていった。吉村氏も政治には未練がないタイプ。もう一度、住民投票をやって負ければ辞める。勝てばそれでよしと決意したための前言撤回ではないのか。ただ、大阪都構想によって維新が国政で分裂することになれば、都構想にとってもマイナスになりかねない」
党勢低迷する維新にとって、大きな賭けとなる大阪都構想の再検討。吉村氏の決断は吉と出るだろうか。
(AERA dot.編集部・今西憲之)