島倉千代子「極ベスト50」
島倉千代子「極ベスト50」
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島倉千代子「人生いろいろ 愛のさざなみ」
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島倉千代子「からたちの小径」
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島倉千代子「からたちの小径」
ちあきなおみ「ちあきなおみ大全集」
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ちあきなおみ「ちあきなおみ・これくしょん~ねぇあんた」
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ちあきなおみ「ちあきなおみ・これくしょん~ねぇあんた」
松島トモ子「松島トモ子大全集」
松島トモ子「松島トモ子大全集」

 日本コロムビアのプロモーション・マネージャー、三谷順一さんへのインタビューの第2回をお届けする。著名な女性シンガーの話題から、戦後を代表する子役スターの驚きの発掘音源まで、今回も話は尽きない。

―― 島倉千代子さんとの思い出はお持ちですか?

 島倉さんはそんなにキャンペーンをなさらない方でしたけれど、《人生いろいろ》(1987年)がどんどん大衆に支持されてきて、いろんな取材の話が来るようになりました。そのとき三日間ほど島倉さんに同行したんですが、非常にやさしい気配りのある方だなと思いました。先輩から聞いた話では、デビュー当時の島倉さんは本当にスーパーアイドルだったそうです。デビューの《この世の花》(1955年)大ヒット以降、レコードが発売と同時に大きく売れるすごい人気でした。非常に可憐でかわいい感じ、際立って美しい方でした。またニューミュージック系の、小田和正さん(《あの頃にとどけ》)や井上陽水さん(《少年時代》)の曲も歌っておられます。晩年には南こうせつさんとも親しくなられていました(《からたちの小径》)。

―― 島倉さんとひばりさんは共演したことがありますか?

 コロムビア大行進というコンサートが毎年あったんですよ。正月番組のテレビ中継もありました。そこにはコロムビアに所属するいろんな歌手が出ていました。もちろん島倉さんも出て、ひばりさんはトリをとって。2人だけの共演だけじゃなくて、みんなで出ましたね。

―― ちあきなおみさんも不世出の歌い手です。

 ちあきさんは何を出しても大きな反響がありますね。特に、この10年さらに評価があがってきています。

―― 未発表音源については?

 見つかれば発売したいと思います。ちあきさんは、1969年にデビューしました。僕がまだ入社した当時で、「際立って歌のうまい歌手が出てきたな」と思ったことを覚えています。カヴァー曲も多く取り上げていますが、ちあきさんが歌うとちあきさんの持ち歌のようになるんですよ。昔、ちあきさんの歌で船村徹さんの《柿の木坂の家》を聴いて驚きました。青木光一さんのオリジナル・バージョンも素晴らしいですけど、ちあきさんが歌うと一味違う。いろいろ発売しています。マニアの方が喜ばれるような紙ジャケやBOXセットを出してみたり。でも、オーソドックスな『決定盤 ちあきなおみ大全集2枚組』が一番のお奨めですけどね。

―― ちあきさんは1992年から歌手活動を休業されています。どんな方だったんでしょうか?

 レコード店のキャンペーンでご一緒したときは笑い上戸な明るい感じでした。ただステージなどで歌うときになると、ひとりで精神統一をして歌われてました。打ち込み方が違うといいますか。僕はレコーディングに立ち会ったことはなくて、ディレクターの中村一好さん(故人)から話を聞いたんですが、作詞作曲の方がいらしても歌っているところを見せないようにして、スタジオを真っ暗にして思いを込めて歌っていたらしいです。普段はとても明るい方でしたけどね。

―― ところで、三谷さんが最初に好きになった音楽は?

 ラジオドラマの主題歌です。《ヤン坊ニン坊トン坊》(NHKラジオ第1で1954~57年放送)とか。いちばん熱狂したのは松島トモ子さんですね。モデルでバレリーナで映画スター。結婚前の今の皇后陛下や、長嶋茂雄さんといっしょに写真に写ったり、平凡とか明星のような雑誌にも登場して、とにかく桁違いのスーパースターです。「鞍馬天狗」の杉作で、「サザエさん」が映画になった時(56年)は江利チエミさんがサザエさんで、松島さんがワカメちゃん。《ワカメちゃん》という曲もあります。

―― 50~60年代の松島さんの歌をまとめたのが、2014年発売の『松島トモ子大全集』です。率直に申し上げますが、僕は松島さんの歌、一度も聞いたことがありません。

 めちゃくちゃうまいんですよ、天才的にうまい。選曲しながら感銘を受けました。当時はすべてシングル盤で、3分の1ぐらいがSP(78回転)かな。LPは出ていません。

―― それがCDにまとまったのですね。松島さんご本人も、当時のことを懐かしく思い出されたのではないでしょうか。

 すごく喜ばれていました。松島さんはニューヨークに音楽留学されているんですよ(1964年)。その頃にレコーディングした《チム・チム・チェリー》や《ハロー・ド―リー》には特にびっくりしますね。

―― 松島さんは当時の歌番組にも出演されていたのでしょうか?

 僕は故郷の広島にいたんですが、見た記憶はないですね。歌番組出演は、あまりなかったと思います。スターで人気があるので、レコード吹き込みだけはしていたんでしょう。

―― CD帯には「昭和の国民的アイドル 感涙の集大成!」とあります。

 松島さんのトークショー等に来たお客様も大勢このCDを購入されていて、歌のうまさに口をそろえて驚いてます。《おもちゃのチャチャチャ》を最初に歌ったのも松島さんですよ(62年12月リリース)。翌年、真理ヨシコさんが童謡大賞を取ってるんですけど。《ハロー・ド―リー》(65年6月録音)は当時のレコ―ディング台帳を調べたところ、一度もレコード化されていないことがわかったんですが、聴いてみると非常に素晴らしい。録音から約50年ぶりに発売することができたわけです。

―― 島倉千代子さんとの歌の共演もあって、それがこのときまで60年間、未発表のままだったというのもすごいです(《伊豆の姉妹》56年5月録音)。

 映画の中で使われる予定だったんでしょうかね……。松島さんは、戦後の象徴なんですよ。この人の成長を当時の人が楽しみにして、僕のおふくろの世代は「トモ子ちゃん大きくなったわねえ」という感じでテレビや週刊誌を見ていた。3歳の頃から芸能界にいらっしゃるので、芸能生活67年という感じでしょうか。このCDは60代、70代のファンにとって大喜びだと思いますよ。 [次回8/22(月)更新予定]