
東京のとある児童養護施設。さまざまな事情で親と離れて暮らす子どもたちの声と成長をカメラは捉える。両親への思い、職員との関係、学校のこと、原則18歳になると退所しなければならない将来について──。社会から注目されにくかった子どもたちを正面から追った貴重なドキュメンタリー「大きな家」。竹林亮監督に本作の見どころを聞いた。
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青年海外協力隊のドキュメンタリー撮影でご一緒していた俳優の齊藤工さんから「関わりのある児童養護施設の映画を撮りたいんだ」と打診され、施設を訪ねるようになりました。僕は施設について何も知らなかったので、リサーチを通じてどこか「悲壮感のある」イメージを持ってしまっていた。でも実際に子どもたちに会うと生き生きと人懐っこくて、でもそのなかにさまざまな葛藤を抱えていると感じました。1年ほど訪問を続けて顔を覚えてもらえた頃に撮影を始め、そのうちに「今日はいつまでいるの?」と一緒にカードゲームをしたり、宿題を教えたりするようにもなりました。
子どもたちは突然「フッ」と深い話をしたりします。ですが常に「追いかけすぎないように」というルールを設けました。彼らの家庭の事情を暴いたりすることが目的ではありません。話を聞くうちに彼らはどんな年齢でもどこかに「本当に暮らすべき場所は他にあり、ここで暮らすべきではない」という思いを持っていて、ゆえに今の自分を肯定できないようにも感じました。そんな彼らにとって自分が映画の主人公になって、観客と一緒に自分を応援できるような映画になればと思ったのです。

みんながカメラに撮られることを意外に気に入ってくれたのは、カメラに「まなざし」的なところがあるからかもしれません。日本では子どもの数に対して職員の割合が少ないので、どうしても「自分を見てほしい」という欲求が叶いづらい。子どもは自分に向けられる「まなざし」を欲しています。僕自身が彼らに出会って変化したように、本作から彼らを社会的にカテゴライズする意味のなさを感じてもらえれば、そして「あの子、いまどうしてるかな」と思いを馳せてもらえれば嬉しいです。
(取材/文・中村千晶)
※AERA 2024年12月2日号

