天才・イチローの“開眼”
「お父さん、息子さんは3割打ちます」
このようなエキサイティングな二軍監督生活は、1年で終了する。広野が二軍監督を務めていた1993年の暮れ、一軍監督の森祗晶が広野を自宅に呼び出して、こう言った。
「広野、一軍に戻ってこい。黒江(透修=当時の打撃コーチ)と清原たちが合わん」
広野いわく、黒江は選手たちに自分の打撃を押し付ける指導方法であった。上から押さえつけるような指導に、プライドの高い高額年俸プレイヤーたちが素直に従うはずがない。
「いや、森さん、二軍の監督おもしろいんで、このままやらしてください」
「バカ野郎!そら二軍監督はおもろい、俺だって二軍監督やりたいわ!」
「そうですよね……。わかりました」
広野は、再び一軍打撃コーチに就任し、結果としてリーグ5連覇に貢献したのだが、就任直後のオープン戦で、イチローの父と再会を果たしていた。
その日、オリックスとのオープン戦が雨で流れ、両軍が交代で室内練習をすることになった。広野は先に練習をしていたオリックスの仰木彬監督へ挨拶するために早めに現場へ向かった。
仰木はこの年から監督に就任しており、広野は仰木と西鉄時代に懇意にしていた関係で祝いの挨拶をしようとしたのだ。仰木に挨拶を終えると練習場の中に宣之がいた。