ダルビッシュに教えた抑えの心構え
藤川氏は06、09年のWBCで日本代表に選出され、2大会連続世界一に貢献している。09年は守護神として期待されたが、本大会予選で投球内容に不安を残し、準決勝と決勝はダルビッシュ有(パドレス)が抑えにまわった。藤川氏は登板機会がなかったが、当時の日本代表のスタッフは、その振る舞いに感銘を受けたという。
「抑えの経験がないダルビッシュに、心構えや調整法などを伝えていました。抑えを外された悔しさは絶対にあるはず。でも、そういう素振りを一切見せずに日本代表のためにできることを尽くしていた。球児は当時29歳でしたけど、本物のプロフェッショナルだなと。僕だけでなく、選手やコーチ陣、スタッフみんながそう感じていたと思います」
自身の信念を大切にする生き様で、予定調和に迎合しない。メジャー挑戦3年目の15年5月に自由契約となり、古巣の阪神復帰が決定的とメディアで一斉に報じられたが、四国アイランドリーグplus・高知への入団を決断する。故郷の子供たちに夢を与えることが目的だった。翌16年に複数球団からオファーが来た中で、阪神復帰を決断。先発の構想があったが、救援に配置転換されて輝きを取り戻す。17年から3年連続50試合以上登板し、19年は4勝1敗16セーブ23ホールド、防御率1.77の好成績を残した。
重要になるヘッドコーチ人事
藤川氏が新監督になる上で、カギを握るのはコーチ人事だ。広島の新井貴浩監督もNPBでコーチ経験がなかったが、就任1年目の昨年に2位と4年連続Bクラスから躍進。今年は終盤の大失速で4位に終わったが、8月まで優勝争いを繰り広げた。2年間でチームを進化させた立役者と言えるのが、名参謀の藤井彰人ヘッドコーチだ。
「作戦面などを立案し、選手の起用法でも積極的に助言して広島の頭脳になっています。藤井コーチの招聘は新井監督の強い希望でした。阪神時代に一緒にプレーして野球観が合い、監督就任で相棒に選んだ。広島はOBのコーチが多いので異色の存在ですが、能力の高い指導者はOBにこだわらず抜擢するべきだと改めて感じました」(広島のメディア関係者)