永井美奈子さん(撮影/門間新弥)
この記事の写真をすべて見る

 28日の「呼び出し先生タナカ」(フジテレビ・毎週月曜)は「優等生アナウンサーNo.1決定戦」の第2弾で2時間SP。NHK&民放全キー局出身アナウンサー10名が「国語」「社会」のテストで格付けされる。タナカ先生に呼び出された生徒は、青山祐子、阿部知代、榎並大二郎(フジテレビアナウンサー)、上重聡、須黒清華、竹内由恵、永井美奈子、馬場典子、原田葵(フジテレビアナウンサー)、山本里菜の優等生アナウンサーと番組おなじみのメンバー、猪狩蒼弥、村重杏奈、やす子の人気芸能人たちが登場。アナウンサー必須技能「滑舌テスト」や「漢検」全面協力の「難読漢字テスト」などに挑戦する。果たして、優等生アナウンサーは? ゲストのひとり永井美奈子の過去のインタビューを振り返る(「AERA dot.」2024年6月20日配信の記事を再編集したものです。本文中の年齢等は配信当時)。

【写真】フリーになって間もないころの永井美奈子さんはこちら

*  *  *

 フリーアナウンサー・永井美奈子さん(58)は日本テレビのアナウンサー時代、「元祖アイドルアナ」として絶大な人気を誇った。同局のアナウンサーたちと「DORA」というユニットを結成し、CDをリリースしたほか、「アイドル図鑑」にトップテン入り。一方でアナウンス技術の高さに定評があり、報道番組でも長らく活躍した。日本テレビ時代に経験した試練、人気絶頂の時に抱えていた葛藤などについてインタビューで語ってもらった。

――1990年代の日本テレビを見ると、「ジパングあさ6」「The・サンデー」「マジカル頭脳パワー!!」「24時間テレビ 『愛は地球を救う』」などを中心に朝から夜まで永井さんが毎日番組に出演していたイメージがあります。

 今振り返ってみると、しんどかったですね(笑)。朝の番組で午前4時に日テレに入って、その後は午後10、11時まで収録番組があったので、1日に3時間の仮眠を2回する生活でした。夜中の12時から3時間寝て、朝の番組をやった後に午前10時から3時間寝て。仮眠室が定宿でした(笑)。ホテルを取ってくれたりしたこともありましたが、日テレの近くに公団のアパートを借りていた時期もありました。寝るだけの部屋で、物は何も置いていなかったです。お酒は飲まなかったのでそういう席に行く機会は少なかったですけど、プライベートの時間はなかったですね。友達をなくしました(笑)。でも当時はつらいとかではなく、とにかく必死でした。体がボロボロで記憶がない部分も多いです。

「DORA」結成でCDデビュー

――92年に「DORA」を結成してCDデビューし、「アイドル図鑑」でトップテン入りするなど、アイドルアナの先駆者になりました。

 DORAはきつかったですね……。当時28歳ですから。ミニスカートで歌いたくないし、そもそもアイドルではなくアナウンサーなので。当時の部長に「嫌です」って言ったら、「後輩のためにやってくれ。おまえが後輩を引っ張ってくれ」って。うまいなあ、この人って思いました(笑)。話題にしていただけるのはありがたい半面、葛藤はありました。体育会系的なアナウンス部だったので、良く思っていない方もいるだろうなと。アナウンサーとしての本分を忘れないように勘違いしないように必死でした。

次のページ
フジテレビのほうが可能性があるかな