その後に、「NNSアナウンス大賞」という日本テレビ系列のアナウンサーの中から、アナウンス技術の向上などでネットワークに貢献したアナウンサーを表彰する大賞に選んでいただいて、すごくうれしかったです。バラエティー番組での活動が注目されていましたが、情報番組にもやりがいを感じていましたし、アナウンス技術を認めていただいた。自分の中で一番心に残る賞ですね。
――永井さんはテレビのアナウンサーにいつ頃からなりたいと思っていたのですか?
私はラジオのアナウンサーになりたかったんです。高校時代か、もっと前からかな。AM、FM問わず音楽を聴くのが好きで、音楽をかけながらしゃべりたいと思っていました。ただ、ラジオのアナウンサーは毎年採用されるわけではなかったので、通っていたアナウンススクールのカウンセラーに「テレビ局も受けなさい」と。顔を出すのは嫌だなって乗り気ではなかったんです。親が真面目で「テレビに出るなんて、何を考えてるの?」という空気もありましたしね。
同期の関谷はレギュラー番組がどんどん増えていくのに……
――意外ですね。日本テレビから採用の合格通知が来た時はいかがでしたか?
採用されると思わなかったですし、よく拾ってくれたなって(笑)。フジテレビのほうが可能性があるかなと思ったら1次試験で落ちました。日テレは真面目で硬派なイメージがあるので、私のキャラクターでは残らないなあと思っていたんですよ。内定式の時に人事局長に「君を採るのは冒険だった」って言われました(笑)。
――入社してからの歩みを教えてください。
最初の4年間は地獄でした。私の実力不足ですが、仕事がないのにお給料をもらっているのがつらくて。同期の関谷(亜矢子フリーアナウンサー)はアナウンス技術がしっかりしていてレギュラー番組がどんどん増えていくのに、私は日本全国の秘境を回るロケで週に3日間出張して、そのほかの日は資料整理と電話番。入社2年目に報道番組に抜擢されましたが、見事に期待を裏切ってしまって。
原稿読みが下手で、自分でも不安に思いながら読んでいるので視聴者に伝わってしまう。番組を半年で降板して反省の日々でした。仕事がない期間はアナウンス室にいて、放送を見て私ならどうするかいろいろ考えました。アナウンスメントの練習、原稿読みなど基礎の部分を繰り返ししていましたが、「私しかできない仕事って何だろう」「自分の居場所はどこなんだろう」と毎日考えていました。