海を渡って、働き、子育てをしてきた小島慶子さんと中野円佳さん。それぞれいま何を思うのか(撮影/写真映像部・松永卓也)
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 グローバルな人材が求められる中で、海外への教育移住を選択し自身のキャリアもしっかり築く人がいる。仕事と子育てを海外で経験した2人がその選択の経緯や子どもが選んだ進路について語った。AERA 2024年10月28日号より。

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 日本を離れて働くこと、子育てをすること。それぞれ良いこともあるけれど、そう簡単なことではない。海を渡って、働き、子育てをしてきたエッセイストでメディアパーソナリティーの小島慶子さん(52)とジャーナリストで東京大学多様性包摂共創センター准教授の中野円佳さん(39)はそれぞれいま何を思うのか。経験者の2人が語り合った。

中野円佳(以下、中野):英語も日本語も中途半端になってしまいかねないという懸念とも闘う必要がありました。

小島慶子(以下、小島):私の場合は、教育移住を決意した時に息子たちは小学校2年と5年生でした。長い目で見た時に縮小していく国に、その国の言葉しか喋れない状態で子どもを閉じ込めるのは不親切だと思ったんです。なので初めから、彼らを日本の有名な大学や大手企業に入れることは前提にしませんでした。私も夫も、彼らが勉強したい国で勉強して、本人がやりたい仕事で本人が必要なだけのお金が稼げればいいという考えだったので、そう決めていました。

 ただ、英語が母語ではなく、かつ日本の教育も途中でやめてしまうわけですから、それなりのリスクがあるわけです。息子たちはたまたまオーストラリアが性に合って、大学もオーストラリアを選び、オーストラリアで働くという道を自分で決めましたが、教育移住を検討するなら、負荷やリスクを見極めた上で子どもにどういう環境を与えてあげるのが親切なのかをよく考えることが大事では。とりあえず英語を話せるようになったらなんとかなるんじゃないか、他の子と差別化できていい、という考えだと続かないと思います。

中野:私は夫の駐在なので教育移住をしたわけではありませんが、日本ではできない経験をと思って、地元の幼稚園やインターナショナルスクールに通いました。そのこと自体は良かったと思うのですが、帰国してみたら日本の公立の学校に違和感を覚えることがあります。相対化できる視点を手に入れたとも言えるけれど、ある意味どっちつかずのルートに入ってしまったところがあります。

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