俳優の西田敏行さん(76)が亡くなった。映画「釣りバカ日誌」シリーズやNHK大河ドラマをはじめ、多くの映画やドラマ、テレビ番組に出演し、温かみある演技や凄みをきかせたセリフなど多彩な表情で私たちを魅了した西田さん。AERAでは、東日本大震災後に故郷の福島を思って活動していた西田さんに密着した。2012年5月14日号に掲載した「現代の肖像」全文を期間限定で掲載する。(記事中の年齢・肩書などは当時)。
【写真】双葉町からの避難者に「福島は負けないよ」と語りかける西田さん
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福島県の中通りで育った。中学卒業後、役者を志して故郷を離れ、日本を代表する名優となる。福島を離れて50年近くが経ったとき、大好きな故郷を東京電力福島第一原発の事故という「人災」が襲った。親しみやすいルックスの底に秘めていた、原発は「NO」という一貫した信念。表現者として、怒りは隠さない。隠せない。
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猫背気味の背中が、さらに丸くなったように見えた。疲れているに違いなかった。映画、テレビ、ラジオ、CMと、休む間もないハードなスケジュールが続いていた。
2日前、ニュージーランドでの映画の撮影から帰国、東京の自宅に戻ったのは深夜。翌日、福島県須賀川市で開かれるNHKの公開生放送の歌謡番組出演のため、朝早く出発。番組終了後は出身地の郡山市で、友人たちとの宴に顔を出した。
一夜明けた、東日本大震災から1年となる今年3月11日。西田敏行(64)は、郡山市で開かれた「福魂祭」に招かれた。東京電力福島第一原発事故による放射能汚染によって、いまだ復興の糸口が掴めない福島の再生を願い、地元の有志によって開かれたイベントだった。オープニングの記者会見で西田は、笑顔を見せずこう語った。
「去年の3・11からきょうに至る1年間、被災された方たちにとって、大変苦しい時間だった。これから始まる1年間は、喪失感を心に積み上げていく時間になると思っています。我々は、それにどう寄り添っていけるか。一緒にいられるか。ずっと表現者として考えてきました」
2003年3月に心筋梗塞で倒れた。64歳という年齢を考えても、以前のような無理はきかない。だが、「3・11」のあとは、可能な限り福島を支援するイベントに参加してきた。津波で壊滅した南相馬市やいわき市の海沿いにも足を運んだ。
「みなさんからの依頼になかなか応えられていなくて心苦しい」。所属事務所オフィスコバックの社長、小林保男はそう言う。いまもとめどなく出演依頼がくる。個人からの相談もある。
「国も県も市も何もしてくれない。その不満を発信してほしい。自主避難の人には何も支援がないので助けてほしい。西田なら何かしてくれるのではないか。そう思われているようです」