作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回はアニータさんと頂き女子りりちゃんと日本の男たちについて。
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久しぶりにアニータさんの名前を聞いた。あのアニータさん、である。
23年前、青森県住宅供給公社で経理を担当していた男性職員(現在67歳)が公社から14億円強を横領し、そのほとんどをチリ人妻「アニータさん」に貢いでいたことが発覚した。そして今、14年間服役した男性が、朝日新聞の取材に応え、「刑務所に入るとどういうことになるか。刑務所を出た後にどんな厳しい現実が待っているか。俺の人生を通して知ってほしい」と、アニータさんとの関係を語りはじめたのだ(朝日新聞デジタルで現在連載中)。
私の心の中には確実に「アニータさん」が住んでいることを、今回、久しぶりに名前を聞き実感した。顔もハッキリ覚えている。声のトーンも覚えている。彼女が建てたチリの豪邸も鮮明に覚えている。ああ、アニータさん! 彼女は忘れようがないほどに強烈な印象を日本社会に残したのだ。
事件が発覚したときのマスコミのはしゃぎぶりは忘れられない。14億円という桁違いの金額も、何年にもわたって横領されていたことに誰も気が付かなかった青森県の公社の――言葉を選ばないが――間抜けさも、そしてそれがほぼ一人の女性に「貢がれた」ことも、何もかもが想像しうる限界を超えていた。
あの当時、「怒り」や「批判」の矛先が、男性職員や公社というよりは、アニータさんという女性に向かったことも、いかにも日本らしかった。生まれ育ったチリに建てた豪邸がワイドショーで繰り返し報道され、アニータさんが現地でタレントとして活躍する様が騒がれ、さらに『わたしはアニータ』という自伝の出版は、青森県民の怒りに火をつけるような空気があった。
当時、私は知人の記者に頼み、アニータさんへのインタビューを申し込んだこともある(タイミングがあわず叶わなかった)。アニータさんへのバッシングの激しさに違和感を持ったこともあるが、何より、アニータさんが日本での生活をどのように生きたのか、日本をどのように見ているのかを知りたかった。アニータさんと私はほぼ同世代である。同世代の女性として、彼女が見た日本のリアルを知りたかった。
アニータさんが来日したのは1992年、20歳のときだ。チリのバーで働いていたアニータさんは、日本人の売春プロモーターの甘言で、具体的にどのような仕事かを知らないまま300万円の借金を背負わされ来日する。ペルーから何十時間もかけ名古屋空港に着いたその日から、男たちの相手をさせられることになる。