男性側からみた「アニータ事件」とは(朝日新聞デジタルから)

「その日、私は八人とセックスした。フェラチオも五〇回くらいしたはずだ。日本に着いてからまだ四八時間も経過していなかったけれど、すでにポケットにはたくさんの円が入っていた。(略)全身が痛み、前の晩と同様、疲れきっていた。私はただ眠りたかった」(『わたしはアニータ』)

 アニータさんのような女性は当時の日本に無数いた。ステージの上で客と性交するストリップ小屋、ペニスを手や口で射精させるピンクサロン、売春斡旋するスナックなど、日本全国の様々な性産業(主に温泉街)を転々としながら、女性たちは「プロモーター」に借金を理由に身柄を拘束されていた。日本語もほとんど喋れないまま、来る日も来る日も売春を強いられる日々を過ごし、稼いだ金を「ウエートレスをして稼いだ、日本はいい国だ」と祖国の家族に送金する。そういうなか、アニータさんは2年で借金を返して自由の身になり、青森の浅虫温泉に向かう。そこはチリ人の女性たちが働くスナックのある北の温泉街だった。縁もゆかりもない青森で、アニータさんは、男性に会うのだ。

 アニータさんの自伝によれば、男は2度目のデート(アニータさんにとっては仕事)の時に、アタッシェケースに1千万円の現金を渡してきたという。男はアニータさんにかなり強い執着をみせ、怒りにまかせてアニータさんを殴り、数日間入院するほどの重傷を負わせたこともあったという。アニータさんは男から逃げるためにチリに帰国したが、男はチリまで追いかけてきた。暴力を振るわれるのではないか、「金を返せ」と言われるのではないかと怯え、男が望むままチリで結婚式をあげる。

 驚くのは、今回の朝日新聞が掲載しているインタビューは、アニータさんが書いてきたことと、百八十度違う「男から見た物語」で構成されていることだ。インタビューによれば結婚を迫ったのはアニータさんである。「子どもに会いたい」というアニータさんに飛行機代を出してあげてチリに帰してあげたが、その後「会いに来て」と言われチリに行くと、アニータさんに結婚を迫られ、男が「結婚はできない」と言うと、「なによ、あなた」とアニータさんが殴ってきたのだそうだ。

 23年前の事件のいったい何を私たちは読まされているのだろうか……とモヤモヤとしながらも、この連載は全13回も続くそうだ。

暮らしとモノ班 for promotion
2024年の『このミス』大賞作品は?あの映像化人気シリーズも受賞作品って知ってた?
次のページ
頂き女子りりちゃんを思う