京都大学にある研究室はがらんとしていた。日本の研究者は資料や書籍を紙で保存しがちだが、彼はフィールドに出る機会が多いから、すべてデジタル化して、どこからでもアクセスできるようにしている(写真/楠本涼)

 ただ、修士論文のテーマは指導教官の薦めで決めたため、彼自身は消化しきれず難儀したようだ。それを手伝ったのが、同じ大学で妹も同然だったエリーサ・エレナ・フランツォーソだった。

「論文の冒頭数ページは日本語で書くことになっていて、私は日本にいたことがあるので手伝いました。当時は日伊の辞書がないから新英和大辞典と広辞苑をバール(カフェ)に持ち込んで、ビールを飲みながら翻訳していました」

 アンドレアは「学者だけはなりたくない」と思いながら、指導教官に誘われて「研究員」になる。ただロックへの憧れは消えなかったのか、大学の友人のジョルジオ・コロンボはこんな証言をしている。修士論文の審査に立ち会ったときだった。

「私はもちろんスーツでしたが、彼は髪を長くして、ロックスターのように真っ黒なスーツであらわれたんです」

 やがて博士課程に入ると、博士論文のテーマを「あの世と繋(つな)がっているとされる場所」にした。そのために日本で青森の恐山、京都の六原(六波羅)、富山の立山、箱根の地獄谷を調査することにした。ヨーロッパはキリスト教の影響で、聖地はあっても「地獄」や「あの世の入り口」のような場所がないことも興味深かったという。

医療が発達した社会で なぜ憑依が起こるのか

 日本へは半年ごとに3年通い、京都の安宿をベースに調査を始めた。ベネツィア カ・フォスカリ大学から奨学金をもらったとはいえ、日本円で月10万円ほどだから、節約のために1日の食事を1回にすることはよくあった。そのかわり、調査地では昼食をスキップして、夜は思い切って居酒屋で食事をした。地元の人から話を聞くには格好の場所だったからだ。なかでも恐山の居酒屋では、幽霊を見たという人が大勢いたのには驚いたという。

「隣にいた男の人が『目の前を子どもがすっと壁を通り抜けて出て行った』と言えば、別の男の人が『お山に行ったんじゃないか』とつぶやく。イタリアはカトリックの影響で、死ねば天国か地獄だからこの世に留まることがないので、人間の幽霊を見ることはないし、たとえ幽霊らしきものを見たとしても言いません。でも、恐山で幽霊を見た人は、実際に見たのだと思う。ただ、何が見えたのかと聞くと、見た人の説明はみな違います。あそこは霊感のない私でもちょっと違う感じがします。感性の鋭い人なら、身体感覚の異変を視覚的に翻訳するのかもしれませんね」

暮らしとモノ班 for promotion
Amazonプライム感謝祭。10月17日からの先行セールで「ダイソン・ルンバ」を手に入れよう!
次のページ
なぜ憑依という現象(症状)が起こるのか