「官僚たちの夏」に重なるシーンも

 ただ、問題の本質は労働時間の長さだけにあるのではない。官僚の使命感を支える「やりがい」が霞が関から失われかねない状況にあるという。

 1990年に入省した中野さんは、キャリア官僚に求められる能力が大きく変わる渦中に身を置いてきた。当時はキャリア官僚といえば東大出身が当たり前。同志社大学出身の中野さんは異端視された。だが、学歴や年次が絶対的な基準としてまかり通る官僚文化になじめなかった中野さんにも、「面白い」と感じられる霞が関独特の風土があった。

「さまざまな勉強会の場があって、若手も自分の意見を自由に発言できる談論風発ともいえる雰囲気がありました」

 高度経済成長期の霞が関は、官僚が政策を立案し、政治家をリードする「官僚主導」が主流。1975年出版の『官僚たちの夏』で城山三郎が描いた熱き官僚たちの姿と重なるシーンが、中野さんの入省時には残照のようにあちこちで見られたという。

官僚たちが働く東京・霞が関。かつては東大出身者ばかりだったが……(photo 写真映像部)

90年代半ばから始まった行政改革が転機に

 転機は90年代半ばから始まった行政改革。経済の行き詰まりや、政官業のもたれ合いに批判が高まると、政治家が省庁再編など官僚主導の見直しに着手する。2009年に鳩山政権が「事務次官会議」を廃止。14年には安倍政権が中央省庁の幹部人事を一元管理する内閣人事局を設置し、「政治主導」が確立された。その結果、大きく変化したのが中堅以上のキャリア官僚の人事評価だ。

「官邸主導の人事で重要なのは有力政治家との相性です。人物本位で評価されると、事務処理能力が高いからといって順当な昇進が保証される世界ではなくなりました」(中野さん)

 政策の企画立案の主導権が政治家に移る中、官僚が国を動かす時代は終わりを告げる。一方で、政治家の国会答弁の作成や国会対応の根回しといった「下請け仕事」はどんどん増えた。これこそが東大生の官僚離れを招いた主因だと中野さんは考えている。

「官邸に登用されて国家の中枢で実権を握ったり、有力政治家と懇意になり政治家を目指したりする権力志向の官僚以外は、モチベーションを維持するのが難しくなりました」

 中野さんもその一人だ。厚労省の課長補佐だった04年に官僚を辞めた最大の理由は「自由にものが言えない」と感じたからだという。

「私にとっては政策の企画立案が官僚の仕事の一番のやりがいでした。しかし、民主主義においては選挙で選ばれた政治家が一番偉いのだから、政治家の言うことをそのまま聞くのが官僚の務めだと言われるようになり、それは耐えがたいと感じました」

 中野さんは、自分の主張を個人の立場で社会に発信できる職業は何かと考え、学者の道に転身したという。

神戸学院大学現代社会学部教授の中野雅至さん(60)  (photo 本人提供)

 東大出身のキャリア官僚が減ることで、どんな変化が生じるのか。「もはやキャリア官僚はエリートではない」という意識が社会に定着していく、と中野さんは見る。

「キャリア官僚がエリートと見なされてきたのは東大生が多かったからです。その前提が崩れれば、官僚のエリート神話も崩壊するでしょう」

 とはいえ、東大卒のキャリア官僚が減ること自体は問題ではない、と中野さんは言う。東大生であろうとなかろうと、国家公務員試験の難易度と一定の競争率が担保されていれば、優秀な人材を確保できるからだ。「ただ」と中野さんはこう続けた。

「官僚のエリート神話が崩れると、ずば抜けた才能の人材はもう来ないでしょう。その結果、国家公務員試験の競争倍率が下がるようなことがあれば、官僚の仕事の質にもじわりと影響が広がっていくはずです」

◎プロフィール なかの・まさし/1964年、奈良県生まれ。同志社大学文学部英文学科卒業後、故郷の大和郡山市役所職員を経て90年、旧労働省入省(国家公務員Ⅰ種行政職)。近著に『没落官僚-国家公務員志願者がゼロになる日』(中公新書ラクレ)

(編集部・渡辺 豪)

*AERA10月21日号から

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