大人気クイズ番組「東大王」で、「ミスター難読漢字」として人気を集めた砂川信哉さん。中学受験で入学した中学を退学、3浪の末の東大合格など、ハードな状況を乗り越えてきた強いメンタルの持ち主です。そんな砂川さん、子ども時代はどんな様子だったのでしょう。両親のエピソードや、東大時代の“裏話”も聞きました。(※前編3浪して東大、中学受験で入った学校を中途退学…元「東大王」砂川信哉、それでも“折れない”鋼のメンタルの理由から続く)
【写真】「ミスター東大コンテスト」に出場したときの砂川さんはこちらビンのかけらを「琥珀だ!」と信じて集めていました
――小学生時代は、毎日どのくらい勉強をしていたのですか?
僕が通っていた沖縄の公立小学校は、中学受験をする人が本当に多かったんです。1年生から塾に通う人もけっこういて、僕も小2の終わりから通塾を始めました。
とはいえ、「まわりの人がみんな行くから」という感じで、低学年のうちは週に1回くらいだったと思います。勉強は好きでしたが、塾以外ではほとんどしなくて、友達と外でサッカーや虫捕りに夢中になっている元気な子どもでした。そういえば、高学年になって塾の回数や勉強量が増えても、いっぱいいっぱいになることはなかったです。
虫捕りといえば、捕まえた虫を図鑑で調べますよね。小1のとき、そんなふうに図鑑をながめながら「琥珀(こはく)」を知ったんです。「琥珀ってすげー!」と、友達と琥珀探しに夢中になったこともありました。
琥珀がそんなにかんたんに見つかるわけがないのですが……あれは多分、割れたビール瓶のかけらだと思うのですが、それを「琥珀だ」と信じて集めていました。茶色いし、見た目が似ているので(笑)。
――その様子を見て、ご両親はいかがでしたか?
集めたガラス片を見て、「それは琥珀じゃないからやめなさい」なんてひとことも言いませんでした。図鑑で知って、調べて、探して集めている僕をほどよく放っておいてくれたようです。
ただ、友達の家の前にガラス片を置くなど、人の迷惑になるようなことをしたときは、「そういうことはやめなさい」としっかり注意されました。
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