民主主義とは何かがあらためて問われる昨今。國分功一郎『民主主義を直感するために』はパリのデモの話からはじまる。
〈最初驚いたのは、ほとんどの人が、ただ歩いているだけだということである〉。横断幕を手にシュプレヒコールをあげる熱心な人は少数で、〈多くはお喋りをしながら歩いているだけ。しかもデモの日には屋台が出るので、ホットドッグやサンドイッチ、焼き鳥みたいなものなどを食べている人も多い。ゴミはそのまま路上にポイ捨て〉。さて、おもしろいのはこの後だ。〈デモの最中、ゴミはポイ捨てなので、デモが行進した後の路上はまさしく革命の後のような趣になる(単にゴミが散らかっているだけだが)。しかし、彼らパリ清掃軍団がやってきて、あっという間に何事もなかったかのように路上はきれいになるのだ〉
 ただ歩くだけのデモ。その後からやってくる清掃車。デモが日常に溶け込んでいる国らしい。そして著者はいう。〈デモにおいては、普段、市民とか国民とか呼ばれている人たちが、単なる群衆として現れる〉。そこから発せられるのは〈今は体制に従っているけど、いつどうなるか分からないからな。お前ら調子に乗るなよ〉というメッセージなのだと。
 人がただ群れているだけで権力はおびえるのだ。だから高い意識を持つ必要なんかない、デモはお祭り騒ぎでよいのだ!
 もうひとつ、感動的だったのが辺野古の訪問記である。
 キャンプ・シュワブのゲート前に集まった人々の中には、「研修できました」という地元大手企業の社員がいた。大手スーパーの経営母体「金秀」の社員だった。ホテル大手「かりゆしグループ」、食品大手「沖縄ハム」。沖縄には基地建設反対運動を応援している企業がいくつもあるのだ。
 2010年から15年までのエッセイや書評や対談を集めた雑文集。
〈確実に何かが次第におかしくなってきているが、日常は続いている〉という状態にあるいまの日本で役に立つのは「何かがおかしい」と感じる直感だと直感した。

週刊朝日 2016年6月3日号