物価高や為替、金利など、刻々と変わる私たちの経済環境。この連載では、お金に縛られすぎず、日々の暮らしの“味方”になれるような、経済の新たな“見方”を示します。 AERA 2024年10月7日号より。
* * *
男女ともに結婚相手に求める条件の1位は「年収」なのだそうだ。共働きを前提に家庭を作ることが当たり前になっているのだろう。
実際に、総務省の調査によると昨年2023年には夫婦ともに雇用者である共働き世帯は1200万世帯を超えて、専業主婦世帯のおよそ2.5倍になったそうだ。「働く女性」が増えて、「女性が活躍する」社会になったと言われている。
この言葉に僕は違和感を覚えるのだ。
決して、女性の労働参加や社会進出を否定しているわけではない。むしろ逆である。少子高齢化が進んで、日本の生産年齢人口(15〜64歳)は1995年をピークに減少したが、その後も社会が維持できたのは、女性の労働参加率が上昇したからなのは間違いない。いまもさまざまな分野で人手不足が起きているが、さらに「働く女性」が増えて、「女性が活躍する」社会になれば問題ないという主張もある。
しかしながら、家事をする専業主婦は「働いていない」のだろうか。育児をする女性は「活躍していない」のだろうか。
誤解なきように言うと、ここではジェンダーの話をしたいわけではない。働くとは何か、生産活動とは何かについて話したい。
“経済学は「愛の節約」を研究する学問になった。”
カトリーン・マルサル著、高橋璃子訳の『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』の一文だ。
経済学の父と言われるアダム・スミス。家の中で、彼の面倒を見ていたのはその母親だったそうだ。
愛があるからこそ、息子のアダム・スミスのために夕食を作ることができる。親子でも恋人でも仲間でも、愛があれば、相手のために献身的に働ける。しかしながら、「愛」という燃料は希少だ。その愛を節約するために、「金(かね)」という燃料を使って助け合っているのが、貨幣経済だ。