経済学者で同志社大学大学院教授の浜矩子さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、経済学的視点で切り込みます。
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コロナ対応で増えた主要国の財政赤字が縮小している。国債の発行と利払い分を除いたプライマリーバランス(基礎的財政収支)の対GDP比ベースでみると、米国の財政赤字はコロナ対応ピーク時の13.9%から2022年には5.1%に大きく改善。英国でも、同ピーク時の13.4%が22年には5.8%まで低下した。
ところが、日本の場合には、ピーク時の6.3%に対して22年の数値が5.6%だった。調査対象となった(UBSグループ調べ)33カ国中、日本の財政赤字改善率は25位だった。
この調査結果をどう読むか。二つの問題がみえた。第一に、日本の場合、そもそも、コロナ対応の財政出動がケチ臭い。欧米で赤字のGDP比が一気に二桁台に膨らんだのに比べれば、日本は何とも控えめだ。もともとの財政状況がひどいから、思い切った大盤振る舞いができなかった。それはあるだろう。だが、何しろ、いまだ経験したことのないような緊急事態が持ち上がったのである。もう少し何とかならなかったものかと思う。
第二に、緊急事態は緊急事態だ。切迫した状況が多少とも収まってくれば、ただちに機敏に、原状復帰に動き出すべきだ。米国と英国は、明らかにそのように対応している。だから、数値にメリハリが出る。日本の数値は実にのんべんだらりとしている。かくして、統計データは、ある経済社会の体質と政策対応の特性をとてもよく物語る。
日本の数値をみていて、筆者の頭に一つの言葉が浮かんだ。それは、“inertia”(イナーシァ)だ。英和辞典を引けば、「・不活発、緩慢、ものぐさ ・慣性、惰性、惰性力」とある。
泣きたくなるほどに日本にピッタリな気がする。経済の動きが不活発。超緊急時においてさえ、政策対応が緩慢。政策責任者たちがものぐさだから、一度始めてしまったことをなかなか止められない。始まってしまったことが終わらず、永遠に続くのは慣性のなせる業だ。慣性にひたすら身を任せ続ける経済社会は、惰性に満ちあふれている。
何とか、inertiaを振り払わなければ、日本は慣性に押されて崖っぷちから落っこちてしまいそうだ。タスケテチョウダイ。
浜矩子(はま・のりこ)/1952年東京都生まれ。一橋大学経済学部卒業。前職は三菱総合研究所主席研究員。1990年から98年まで同社初代英国駐在員事務所長としてロンドン勤務。現在は同志社大学大学院教授で、経済動向に関するコメンテイターとして内外メディアに執筆や出演
※AERA 2023年4月17日号