夜の阪神甲子園球場は、周囲に高い建物がないため、夜空の中に球場だけがあるような感覚になると中川さんは言う(撮影/写真映像部・馬場岳人)
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 2024年、阪神甲子園球場は100周年を迎えた。それに合わせて『100年の甲子園』を刊行した作家の中川右介さんと、『阪神タイガースの正体』という著書もある井上章一さん。ともに阪神ファンであるふたりが、甲子園と阪神について語り合った。AERA 2024年9月23日号より。

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──阪急百貨店など、関西では生活文化的には阪神よりも阪急のイメージが強いと思いますが、野球においてはかつての阪急より阪神が全国区の人気です。なぜここまでの人気球団になったのでしょう。

井上章一(以下、井上):他の電鉄会社とは違い、1949年のプロ野球再編騒動(注:球団数拡大をめぐって既存球団が対立し、セ・リーグとパ・リーグの分裂に至った49年の終わりから50年の初めにかけての一連の動きを指す)の時にセ・リーグへとどまったということが大きいのではないでしょうか。阪神は当初、パ・リーグの柱となる毎日オリオンズの新規参入に賛成していましたが、最終的には阪神-巨人戦というコンテンツのうまみを取りセ・リーグに残りました。

中川右介(以下、中川):近鉄、阪急、南海など多くの電鉄会社は毎日を中心にしたパ・リーグに行きましたね。

井上:読売が主導するそれまでのリーグにはそっぽを向いて、大きい電鉄球団は新しい世界を夢見たんですね。ところが阪神は結局、根が中小企業的というのか、長いものには巻かれろという、それなりに正しい人生観に従って巨人の軍門に下るという道を選んだんです。それは経営的に成功し、毎日と一緒に夢を見た電鉄会社は、結局すべて球団を手放しました。

中川:阪神としては、甲子園球場は毎日新聞が春の選抜大会をやっていることもあって、敵にはしたくなかったはずです。かといって巨人の率いるリーグに残るメリットを手放すことは避けたい。難しい決断だったと思います。この経緯は謎も多く、ドラマチックです。

井上:阪神は若林忠志や別当薫らを毎日に引き抜かれましたが、別の見方をすれば金のかかるスターたちを売り飛ばしたとも考えられる。いずれにせよ、そんな混乱状態で絶望しながらも、阪神ファンはやめられないんですね。

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秦正理

秦正理

ニュース週刊誌「AERA」記者。増刊「甲子園」の編集を週刊朝日時代から長年担当中。高校野球、バスケットボール、五輪など、スポーツを中心に増刊の編集にも携わっています。

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