「下流老人」という言葉のインパクトは強かった。貧窮する老人に関心を向け、警鐘を鳴らしたのはよかったが、過剰な不安と怯えも広がっている。
 年をとるのはしょうがない。肉体が衰え、使えるお金が減るのもしょうがない。いたずらに怯えるよりも、どうすれば老いを楽しめるかを考えよう。そうした趣旨の『弘兼憲史流「新老人」のススメ』が売れているのは、「下流老人」パニックへの反動だろうか。
 キーワードは「新老人」。80年代のなかば、「新人類」という言葉が流行した。たしか命名者は経済人類学者の栗本慎一郎だった。「朝日ジャーナル」で筑紫哲也による対談「新人類の旗手たち」が連載され、たちまち広がった。従来とは違う価値観や感性、行動パターンなどを持つ若者たちだ。
〈これからの高齢者も新人類のように、新しい価値観や考え方を持つ「新老人」となるべきではないでしょうか〉と弘兼憲史は「はじめに」で述べる。
 老後は田舎暮らしでのんびりと、なんて幻想。個人起業は甘くない。夫婦円満の秘訣は一緒にいないこと。かわいい孫とは距離感を、などなど、「へえ」「なるほど」と思うアドバイスが満載だ。還暦まであと2年のぼくにも切実である。
 なかでも「新老人の心構え」と題された第3章はためになる。
「年をとったら嫌われないこと」と弘兼はいう。
 年をとると頑固でワガママになる。「この年まで頑張ってきたんだ」という自負もあるだろう。だが、それは周囲にとって大迷惑。嫌われれば孤立し、孤独は老いやボケを加速する。とりわけ看護師や介護士には嫌われないようにしよう、と弘兼は強調する。
〈年をとったことを理由に気遣いを勝手に求めるのは、ただの傲慢です。むしろ、年をとるほど謙虚な気持ちで他者に接する姿勢が大切です〉とも。
 目指すはかわいいおじいちゃん、かっこいい「新老人」なのだ。

週刊朝日 2016年4月22日号