オリンピック予選で思うような結果が出せない時期も、滑りの感覚は悪くありませんでした。それで悩んでいても仕方がなくて、勝つためには構成や技を変えなければならないことはわかっていたんです。でも、ランを2本とも失敗するともう勝負できないルールでは、構成を大きく変えることができませんでした。なんとか踏ん切りがついたのが6月の予選最終戦。リスクはあったけれどトリックも滑り方も変えて、やりきることができました。本当にきつくて、地獄の3年間でしたけれど、全力で取り組めたのはいい経験だったし、周りのサポートを受けながらその地獄に向き合えたことで、自分も新しいステップに行けたと思っています。そのきつい経験が自分を強くしてくれたと思う。今はこの3年間に感謝しています」
(編集部・川口穣)
※AERA 2024年9月16日号より抜粋