ドラマ「始皇帝 天下統一」や、映画『キングダム大将軍の帰還』など、始皇帝をモデルにした映像作品がヒットしている。始皇帝の波乱万丈の人生は、いつの世も人を惹きつける。上記作品を監修した学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは、著書『始皇帝の戦争と将軍たち』の中で、始皇帝と近臣たちとの信頼関係について見解を示している。新刊『始皇帝の戦争と将軍たち』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。
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本書の執筆にあたって始皇帝の戦争をテーマに丹念に戦争史料を整理してみると、実に興味深い歴史が様々に浮かび上がってきた。筆者も始皇帝研究をこれまで進めてきたが、今までとは違う感触を得たのである。
始皇帝自身の戦争と外交への関わり方は、けっして確固とした理念があったわけではなかった。何度も挫折しながら、それでも前に進めたのは、周囲の人々を信頼しながらも、ときには欺かれても果敢に対応していったかれの人間力にあったと思われる。
筆者が近臣たちをあえて近臣集団と命名したのは、漢の劉邦の高祖集団を意識してのことであった。劉邦は反権力集団の任俠的人間の絆を重視して、最後は国家権力を手中に収めた。
始皇帝も皇帝として出発したわけではないので、高祖集団に近い人間の絆を重視する動きをしたと思われる。秦王に即位して王権を得た後も、王権の上にあぐらをかく権力者とはならなかった。
いや、なれなかったのである。秦は東方六国の合従の力で、いとも簡単に滅ぼされてしまう危険に何度もさらされていた。秦王嬴政(えいせい)は絶えずその緊張を抱きながら統一までの二六年間を過ごしてきたのである。
始皇帝をめぐる人間たちは、なぜ外国人が多かったのだろうか。執筆しながら、いつも思うことであった。呂不韋、李斯(りし)、趙高(ちょうこう)、蒙驁(もうごう)らは秦という国に忠誠を誓ったわけではなく、始皇帝嬴政という人間力に惹かれていったのだと思う。
秦王嬴政は王であったが、戦国封君のように外国から有能な人材を集めようとした。