映画『キングダム大将軍の帰還』が大ヒットし、もうすぐ公開から2か月を迎える。同作では、王騎将軍の副官で要潤さん演じる「騰(とう)」の剣さばきも見どころだ。漫画では「ファルファル」という独特な斬撃音がおなじみで、ファンから親しまれている。
映画『キングダム』の中国史監修を務めた学習院大学名誉教授・鶴間和幸さんは、著書『始皇帝の戦争と将軍たち』の中で、「騰は内史という高官」であり、「戦時においても大きな功績を残した人物」として挙げている。
新刊『始皇帝の戦争と将軍たち』(朝日新書)から一部抜粋して解説する。
【『キングダム』よりも先の史実に触れています。ネタバレにご注意ください】
* * *
騰(とう)(生没不詳)
秦は始皇一六(前二三一)年に韓から土地を献上され、騰という人物に治めさせた。
騰については姓氏がわからず、謎の人物である。近臣の高官は秦王に対して姓氏を出さずに名だけを称して忠誠を示していたため、騰も秦王に対して臣騰と言った。
始皇一七(前二三〇)年、内史の騰が韓を攻め、韓王の安を捕らえ、韓の領土には秦の占領郡が置かれた。こうして韓は六国最初に滅亡することになる。
秦の本土の畿内を治める内史の高官が、なぜ韓を攻めたのであろうか。韓を滅ぼすという大役を、なぜ内史に任せたのだろうか。他の例だと蒙恬(もうてん)将軍も、のちに斉を攻撃して統一すると内史となり、三〇万の兵士を率いて匈奴(きょうど)と戦った。内史の騰も、将軍を兼任して内史の隣国韓を攻めたのであろう。
騰は、韓滅亡をめぐる重要な人物であったと考えられる。かれの行動が、秦が六国を服属ではなく滅亡させていく方向に軌道修正させた可能性はあるだろう。
韓滅亡時の戦国地図 (始皇一七〈前二三〇〉年)
始皇一七年ごろの韓を取り巻く状況は、前出の戦国初期の地図と比較すると大きく変わった。この時期までに韓は縮小し、すでに一郡程度の小さな国にすぎなくなっていた。
秦はこの小さな韓の国を、朝貢国にするのではなく滅ぼすという方針に転換した。これが、その後一〇年の戦略の転換点となった。この時期から統一までの戦争を、十年戦争と呼ぶことにする。
秦はなぜ、六国のうち最初に韓を滅ぼすことになったのか。秦と国境を接していた隣国のなかで韓がもっとも小国化していたことが、最初に滅ぼす要因となったのであろう。
韓滅亡に関わったとされる「騰」の史料には謎が多く、解釈もさまざまである。これについては後述する。
《朝日新書『始皇帝の戦争と将軍たち』では、李信、羌瘣(きょうかい)、楊端和(ようたんわ)、李牧(りぼく)、龐煖(ほうけん)ら名将軍たちの、史実における活躍を詳述している》