優勝候補、超高校級の選手、伝統の強豪校がまさかの敗戦を喫する。予想だにしない番狂わせに球場が沸いたのは数知れず。歓喜の輪にいた球児はその試合を今も鮮やかに記憶している。AERA増刊「甲子園2024」の記事を紹介する。

【1985年の写真】甲西の安富(右)が右翼線にサヨナラ二塁打を放ち歓喜のガッツポーズ。左は東北の投手・佐々木

一回裏、甲西1死、打者・奥村(右)のとき、牽制悪送球で三塁走者・高野が先制の生還
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 創立わずか3年目で甲子園初出場を果たした公立校・甲西(滋賀)は、初戦を突破すると勢いに乗り、ベスト8へ進出。対戦相手の東北(宮城)は大会注目の本格派(のちの“大魔神”こと)佐々木主浩を擁して勝ち進んできた、みちのくの名門。

「佐々木投手の球は非常に速かったです。試合が夕方の時間帯でしたので余計に速く感じた記憶があります」

 と振り返るのは、当時、甲西の2年生捕手だった奥村伸一。

 甲西は立ち上がりから徹底した“右狙い打法”と足を絡めた攻撃をしかけて2点を先行。東北も四回、四死球と安打で3点を奪って逆転する。

「監督の奥村源太郎先生はいつも『うちの野球をすればええんや』っておっしゃっていました。注目投手を相手に我々の野球が通用するかもしれないと手応えがありました」

 うちの野球とは。右打ちを徹底し、走者が出ればバントで送るプレースタイルだ。

 1点を追う九回。1死で打席に立ったのは、奥村監督から「あいつなら必ず打ってくれる」と信頼の厚い3番・奥村。この日3本目の安打で出塁すると、およそ5千人の三塁側アルプススタンドの甲西応援団は総立ちとなる。

 次打者は4番・石躍。その初球、一塁走者・奥村が二盗を決める。この盗塁を含めて奥村は計3盗塁と東北バッテリーを足でかき回した。

「自信があったわけではないのですが、佐々木投手のクセのようなものを見つけたんです。セットに入る瞬間、グラブを落としたらすぐ足を上げる。そのタイミングを見極めてスタートを切りました。投球動作が大きかったのも有利に働きました」

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