時刻表を開き、博多から小倉へ出て日豊本線で宮崎へいき、そこを折り返し地点に小林、本経由で戻ってくる、と順路を決める。ところが、国鉄(現・JR)の宮崎駅で好きな遺跡の見物へ出て、戻りが遅くなって予定の電車に乗れず、計画が狂う。駅の案内所の女性に「乗り遅れたのだが」と相談したら、のびやかな時代だったからか、お金を貸してくれて「これで、タクシーで小林駅まで乗ったら間に合うよ」と言われる。

 すぐに霧島連峰の東にある小林市へ向かうと、女性が言った通り予定の電車に追いついた。自宅へ帰って父に報告すると、すごく怒られて「とにかく、その方へ手紙を書いて、お金を返しなさい」と言われて返す。でも、いい思い出だ。

 学習塾の友人と一緒に鹿児島市の私立ラ・サール学園を受験して合格、寮生活が始まる。両親は、黙って送り出す。自立心を高める生活で、詳しくは次号で触れるが、『源流』からの水量が増していく。大学も、早くから東京へいくと決め、上智大学経済学部へ進む。直前に父が亡くなったが、母は東京への進学に何も言わない。本心では寂しかったと思うが、「どんどん外へ出よ」という主義だった。

公的資金ついに完済「青空を、仰げた」スタートラインに

 2012年11月、多くのことを学ばせてくれた細谷会長が亡くなった。翌年1月にりそな銀行社長への就任が決まり、記者会見で公的資金について「完済へ向けてシナリオを策定し、改革を深化させるのが私の使命」と宣言する。4月に、細谷さんの思いを継いで社長になる。

 2015年6月25日、りそなは最後の1280億円分の優先株を買い取り、公的資金を完済する。「青空を、仰げた」と表現した。翌日に大阪市、2日後に東京で開いた臨時全国支店長会議で、こう語りかけた。

「これは、ゴールではありません。スタートラインです。公的資金が注入されたという事実と歴史は消すことができません。しかし、12年間かけて努力し、3兆1280億円全額を自力で返済し終えたということには、自信を持つべきです」

 口調は普段通り穏やかでも、胸中で「ついに返したぞ」と叫んでいたに違いない。

 りそな銀行の会長、りそなHDの会長を経て、2022年6月に65歳でシニアアドバイザーへ退いた。いまは旧・大和銀行が本拠を置いた大阪市で、商工会議所の副会頭として来年の大阪・関西万博の盛り上げに力を入れている。最近、大阪へいって歩くと、外国人客の多さに驚く。昔からビジネス書を読むよりは、歩くのが好き。歩けば、何か発見があるからだ。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2024年8月12日-19日合併号