ここは、伊藤潤二本人に答えてもらおう。

「『人間失格』は大庭葉蔵という、女性にモテて仕方がない主人公の話で、原作にはいろんな女性が登場します。この女性たちを如何に魅力的に描くか、というのが、このコミカライズにおいての、私の最大のモチベーションとなりました。それは担当の加藤辰巳氏の希望でもあったと記憶しています。酒を飲みながらの打ち合わせで、加藤氏の意見も取り入れながらそれぞれの女性を造形していきました。ツネ子は実際に太宰治との心中事件で亡くなった田部シメ子の写真から髪型など参考にしたり、京橋のマダムは加藤さんのリクエストで、原作とは違う京マチ子風にしました。薬屋のヒロ子のエピソードを膨らませたのは加藤さんのリクエストです。加藤さんはヒロ子を大庭葉蔵の芸術志向を刺激する、アーティストとして描くことを提案しました。私には思いもよらないアイデアでした」

 ちなみにこの作品から伊藤は、デジタルで漫画を描くことになったので原画がない。なので、世田谷文学館で朝日新聞社などが主催する個展には、『人間失格』の個性豊かな女性たちの絵は展示されていない(展示作品は、伊藤によれば朝日と世田谷文学館が選んだという)。

 海外の個展では『人間失格』からプリントアウトしたものを展示したこともあったというから、これからでも、展示してはどうだろう? 会期は9月1日まである(その後10月より市立伊丹ミュージアムに移動)。

 ちなみに伊藤は、『人間失格』の魅力的な女たちにも完全に満足はしていないのだという。

「後になってああすればよかった、こうすればよかったと反省点も多く、例えばどの女性も体を綺麗に描きすぎたと反省しています。もう少し体のラインが崩れていたり、痩せすぎた体の女性を出せたら、エロスの幅も広がったのにと思います」

 もう少し体のラインが崩れていたり……。そんな伊藤の創作欲を知って、私はゾクゾクとしてきた。

 加藤は、来年定年の歳を迎えるが、伊藤によればあと一作は、加藤と新作をつくるという。 

 様々な「恐怖」を描いてきた伊藤に、『人間失格』の次の「エロス」というテーマを描かせるとすれば加藤しかいないだろう。

 見てみたい!

AERA 2024年8月12日-19日合併号

著者プロフィールを見る
下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。標準療法以降のがんの治療法の開発史『がん征服』(新潮社)が発売になった。元上智大新聞学科非常勤講師。

下山進の記事一覧はこちら