薬屋の未亡人ヒロ子。「加藤さんはヒロ子を大庭葉蔵の芸術志向を刺激する、アーティストとして描くことを提案しました。私には思いもよらないアイデアでした」(伊藤)。 (c)小学館 (c)伊藤潤二

 その成功の原因のひとつに、原作に登場する女性をひとり一人、その背景を伊藤なりに創作しながら、魅力的な人物として描き出していることがある。

 たとえば、原作では、主人公葉蔵をめぐって下宿屋の姉妹が激しく争うところまでしか書かれていないのを、伊藤版『人間失格』では、二人を妊娠させ、妹が姉を刺殺するという展開にしている。葉蔵は、放蕩をつくしたあげくパビナールを入手していた薬屋の未亡人ヒロ子との関係が妻にばれて、妻は自死、ヒロ子も焼死させてしまう。

 そうした乱倫の果てに精神病院に入院、むこう側の女子病棟の格子の向こうにいたのがかつての下宿屋の姉妹の妹セッちゃんだったという展開にしている。

 生娘だったセッちゃんは妖艶な狂気をまとった女になっていた。

 薬屋の未亡人ヒロ子は、原作では「薬屋の不具の奥さんと文字どおりの醜関係をさえ結びました」と一行その関係が出てくるだけだが、伊藤版では薬草の枯れ草でいっぱいの部屋の中で、その枯れ草を使いながら生け花のような芸術作品をつくり、その耽美的な模様の中で葉蔵とセックスをする。そのヒロ子の不思議な魅力を中段の絵のような、八の字眉のエロチックな女性として描いている。

担当者はつきあった女性について話した

 小学館のビッグコミックオリジナルで、2018年に連載されたこの作品を担当したのは加藤辰巳だ。

 1989年入社の加藤は、もともと文芸志望だった。前の担当者から伊藤を引き継いだとき、それまでと何か違うものをやりたいと思ったのだという。

 いよいよ連載をというだんになったとき、加藤の側から「太宰はどうだろうか」という提案をした。一蹴されるかと思ったらば、伊藤はのってきた。

 加藤は毎回の打ち合わせで、こんなことを話し合ったのだという。

「女性で怖い思いをしたことについて私自身の経験をさらけだして話をしました。母から始まり、過去つきあった女性も含めて」

 伊藤潤二は、どうしてあんなに女性を魅力的に描けるのか? しかもそれぞれまったく違う個性が絵柄からにじみ出るかたちで──。

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