節子。「ラストの方は、私のサガか、魔性の女を描くところに一番力が入ってしまって、幼かったセッちゃんが妖艶な魔女になるという原作にない展開になりました」(伊藤)。『人間失格』(太宰治原作 伊藤潤二)より。 (c)小学館 (c)伊藤潤二
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 伊藤潤二の個展が世田谷文学館で4月から始まっていたことをうかつにも知らなかった。

 伊藤潤二と言えばクラスメートに殺されても何度も再生する少女を描いた『富江』でデビューをし、「うずまき」という幾何学模様をモチーフにした連作短編『うずまき』などのホラー漫画の帝王として知っている人も多いだろう。

 実際伊藤自身が自らの漫画の生まれいずるところを探った自伝『不気味の穴 恐怖が生まれ出るところ』でも、どのようにして「恐怖」を描くかというそのテクニックの開陳に重点がおかれている。

 が、私がどうしても知りたかったのは、伊藤潤二は、なぜあれほど個性的で魅力的な女性を描けるのか、ということだった。

恐怖漫画における美女の役割

 伊藤は、楳図かずおの『ミイラ先生』を例にあげながらこんなことを書いている。

〈ホラー漫画における美女は、トーストにおけるバター、シーチキンにおけるマヨネーズ、唐揚げにおける……とまあ、つまりは恐怖を引き立てるために欠かせない存在なのである〉

 確かに、伊藤の漫画でも、「富江」の時代から主人公が美女の場合が多い。それによって恐怖がひきたつという面は確かにあるだろう。

 が、私が伊藤の中で一番好きな作品では、その主客が逆転している。

 トーストにおけるバターなどという引き立て役ではなく、さまざまな個性を持つ女性こそが主線のテーマになっており、それらの女性にはそれぞれのエロスがある。ぞっとするようなエロスや、耽美的なエロス、野獣のようなエロスなど、女性によって描き分けられている。

 それが、伊藤版『人間失格』である。

 このコラムが週刊朝日に連載されていた時代に、手塚治虫の漫画について息子の真が「シェイクスピアのように、さまざまな作家によって生まれ変わっていい」と話していたことを書いた。そうしてできたのが、鉄腕アトムの「地上最大のロボット」を原作にした浦沢直樹の「PLUTO」だった。

 伊藤の『人間失格』も太宰治の同名小説を原作としながら、伊藤流の解釈で大胆にデフォルメし、ある意味原作を超える作品になっている。

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下山進

下山進

1993年コロンビア大学ジャーナリズム・スクール国際報道上級課程修了。文藝春秋で長くノンフィクションの編集者をつとめた。聖心女子大学現代教養学部非常勤講師。2018年より、慶應義塾大学総合政策学部特別招聘教授として「2050年のメディア」をテーマにした調査型の講座を開講、その調査の成果を翌年『2050年のメディア』(文藝春秋、2019年)として上梓した。著書に『アメリカ・ジャーナリズム』(丸善、1995年)、『勝負の分かれ目』(KADOKAWA、2002年)、『アルツハイマー征服』(KADOKAWA、2021年)、『2050年のジャーナリスト』(毎日新聞出版、2021年)。標準療法以降のがんの治療法の開発史『がん征服』(新潮社)が発売になった。元上智大新聞学科非常勤講師。

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