永観堂の多宝塔と放生池。水面に映るモミジが美しい。多宝塔は境内で最も高所にあり、紅葉と市街が一望できる
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 もみじについての最初の記述は、奈良時代の『万葉集』。平安時代には貴族が紅葉の名所を訪れ、紅葉狩りを楽しんだとされる。『古今和歌集』や『源氏物語』にももみじが登場している。

 平安時代は、それまで中国からの影響が強かった日本文化が、遣唐使の中止によって独自の国風文化に変化していった時代。かな文字の発達により貴族の間で和歌が盛り上がり、平安前期には最初の勅撰和歌集『古今和歌集』が編まれた。なかでも紅葉を題材にした和歌は多く、移ろう紅葉、散る紅葉が愛惜をこめてうたわれた。平安時代の文人たちの心を虜にした紅葉は、現在も私たちの心をひきつけてやまない。

 8月6日発売のASAHI ORIGINAL 紅葉ガイド特別保存版「秋の京都2024」は巻頭で、平安貴族も愛でた京都の紅葉スポットを厳選して紹介している。本の発売を記念して、オンラインでも配信したい。

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平安の世にも詠われた「秋はもみじの永観堂」

【永観堂】紅葉に陽が当たる時間帯が美しく、14時~16時が最も混雑するので、その直前、13時からの1時間がお勧めの時間帯

 853(仁寿3)年に創建された永観堂(禅林寺)は、「もみじの永観堂」とうたわれる京都随一の紅葉の名所。「古今和歌集」にも詠まれ、多くの貴族が観賞を楽しんできた。もとは平安時代の文人・藤原関雄が若い頃に住んでいた東山の山荘で、関雄が詠んだ「岩垣もみじ」は多宝塔へ続く階段脇に群生している。錦雲橋と紅葉が水面に映り込む放生池周辺は一見の価値あり。

 応仁の乱での焼失により、現在ある建築物の多くは再建されたものだが、見渡す限り真っ赤な景色は関雄の愛した頃と変わらないだろう。

「源氏物語」にも登場!平安貴族の別天地「嵐山」

【嵐山】日本はもちろん世界中から観光客が詰めかける。落ち着いて紅葉を眺めることができるのは、早朝7時から9時

 平安時代、嵯峨天皇が現在の大覚寺に離宮を建てたことから、嵐山一帯は皇族や貴族が別荘を構える景勝地として栄えた。秋には多くの貴族が訪れ、紅葉の美しさを歌にした。大河ドラマ「光る君へ」の主人公・紫式部による「源氏物語」にも登場する野宮神社など、文学作品に描かれた名所も点在する。

「吹きはらふ 紅葉の上の霧はれて 峰たしかなる 嵐山かな」と詠んだのはかの藤原定家。「嵐が吹き払い、紅葉の上に立ち込めていた霧が一気に晴れて、高い山のいただきがはっきりと見える嵐山であることよ」という意味だ。大堰川の下流から色づく山々と優美な渡月橋を眺め、当時の風情に思いを馳せたい。

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滝の音は絶えて久しくなりぬれど