今回の都知事選のなかで、蓮舫さんの過去のSNS投稿が話題になった。
「同性愛議員が代理出産で授かった息子さん、父親産休明けのその議員の息子を議長が授乳。 日本ではなんとも遠い遠い景色に見えますが、この多様性を当たり前にしたいのです。仕事も。子どもも。そして、多様な家族の形態も。 誰もが認め合える社会を」(2019年8月22日)
蓮舫さんに限らず、こういう世界が新しく見え、理想的に見え、キラキラと見え、うつくしいものに見える感覚を持つ人は多いだろう。でも実際に起きているのは、端的にいえば女性の身体の搾取である。例えば、アメリカで男性カップルが「双子がほしい」と望んだとき。彼らは同じ女性の卵子とそれぞれの精子を受精させる。そしてそれをまた別の2人の代理母に移植する(双子出産は代理母への負担が重たいため近年は禁止されている)。そうすることで、同じ女性の卵子でそれぞれ2人の遺伝子をもつ「双子」が生まれるという考えだ。実際にそのように双子を得たカップルがいる。これは、私たちが目指すべき「誰もが認め合える社会」なのだろうか。求めるべき「多様な家族の形態」なのだろうか。
蓮舫さんの5年前の投稿に対して、代理母出産に危機感を募らせる女性たちが蓮舫さんに問いかけをしたが、反応はなかった。蓮舫さんは答えられなかったのかもしれない。多様性というキラキラした正しさは、時に、女の声を塞ぐことがあるという現実を前に。蓮舫さんだけではない。きっとそういう葛藤を、まだまだこの国の政治家は言語化できていない。そして「SFの話」と言ってしまうくらいに無知なのだ。
そう、テレビは一瞬でいろんなものを映し出す。SNSでの軽い言葉は消えない。そしてわかるのは、私たちの社会は、まだまだ女の声にも身体にも乱暴過ぎるということだ。