そんな彼の、聞く人によってはわがままと言われそうな言葉の方が、私は納得できた。

自分のやりたいことを優先したい。
責任を負いたくない。
ちょっと頼りないかもしれないが、信用できるのは中途半端に父親となった「夫」よりも自由を貫く「彼」なのでは?楽しそうに酔う同期を見ながら、娘の夜泣きでボロボロの私を置いて妹の誕生日プレゼントを買いに行った夫を思い出していた。
 

◎          ◎ 

粉ミルクの缶はフタをしっかり閉めてほしい。スマホよりも娘を見ていてほしい。

娘が生まれてから夫への要求は確実に増えたが、夫はそれに応えようといつも頑張ってくれた。それでもなお「なんで父親なのにわからないんだ!」とはらわたが煮えくり返るような怒りを感じる時がある。

父親の自覚や責任を持った父親、子供の変化に敏感な父親……。
夫になってほしい「父親」像はたくさんある。
私が「父親」という役割を理解できないのは、いろんな理想が混ざり合って、結局はっきりしないものになっているからかもしれない。
そもそも「父親」を信用していないのかもしれない。
都合よく察してくれる人が欲しいだけかもしれない。
この先、夫はどんな父親になるのか。
私が「父親」に納得する日はくるのか。
理解できない存在と、今日も私は子育てをする。
 

「AERA dot.」鎌田倫子編集長から

“私は夫を「父親」にした。”

 この書き出しから、どういう方向へ行くのかドキドキしながら読みました。

 男性はいつ親になるのか、男性が親になるとはどういうことか、女性が求めるものが正解なのか…哲学的な問いが次々に投げかけられた気がします。はるちゃんさんの、当事者でありながら、冷静でどちらの性に対してもいい意味で「冷徹」な姿勢とまなざしを感じました。

“私が「父親」に納得する日はくるのか。”

 この、自分自身をも突き放す感じが、逆に好感がもてました。エッセーは共感で読ませるタイプが多いのですが、それとは対極にありながら惹きつけられる秀逸な作品でした。